
ナラティブとは?ストーリーとの違い・ビジネス活用法と対話で築く職場関係

目次
ビジネスにおいて、人間関係の構築やマーケティング戦略の文脈で「ナラティブ」という言葉を耳にする機会が増えています。しかし、その本質やビジネスでの具体的な活用方法はまだ掴みづらい概念でしょう。本記事では、ナラティブの定義、その重要性、そして職場の人間関係を良くするための対話を通じた関係構築など、具体的な活用手法を詳しく解説します。
ナラティブとは?
ナラティブ(narrative)とは、日本語で直訳すると「物語」や「語り口」という意味です。ただし単なる物語や筋書きを指すのではなく、「誰が、どのように語るか」という視点・構造そのものを意味します。
言い換えれば、一人ひとりが自分の経験に基づいて主体的に語る物語のことをナラティブと呼ぶのです。たとえば同じ出来事でも、語り手によって異なる解釈や意味づけがなされ、別の物語(ナラティブ)として語られます。
また、ナレーション(映画やドラマの語り)という言葉はナラティブの「語り」に由来しています。もともとナラティブは1960年代にフランスの文芸理論の中で提唱された概念であり、当初はストーリー(出来事の連なり)とは異なる文学用語として登場しました。
これは「現実は社会的に構成され、語ることで世界が作られる」という思想(社会構成主義)に基づいて生まれた考え方でもあります。現在では文学や言語学の理論を超えて、医療、心理、教育、ビジネスなど様々な領域で用いられるようになっています。
ナラティブとストーリーの違い
ストーリーが出来事そのものの筋書き・内容を指すのに対し、ナラティブは語り手の視点や解釈、感じ方を含めた「物語の語り方」を意味します。ストーリーでは語り手や聞き手が介在せず起承転結で完結しますが、ナラティブでは語り手自身(=主人公)が物語を紡ぎ続け、終わりが決まっていないのが特徴です。
つまり「主人公が誰か」「物語が完結しているか」が両者の違いであり、ナラティブは一人ひとりが主体となって自由に語る広がりのある物語と言えるでしょう。
この違いはビジネスでの活用にも現れます。ストーリーが企業主体で一方的に語られる場合、聞き手である顧客や社員は受け身になりがちです。
一方ナラティブでは、語り手(顧客や現場の社員)の経験や感情に焦点を当てるため、相手が自分ごととして物語に参加・共感しやすくなるのです。たとえばマーケティングでは、企業が一方的にブランドストーリーを押し付けるより、顧客自身の物語として語ってもらうことで信頼や愛着を育みやすくなります。
ナラティブをビジネスで活用するメリット
現代のビジネス環境でナラティブが注目される背景には、商品・サービスの差別化が難しくなったことや、情報発信の在り方の変化があります。多くの市場で機能や品質だけでは優位性を保ちにくくなり、物語性や体験価値で付加価値を伝える重要性が増しています。
またスマートフォンやSNSの普及によりユーザーの声が企業イメージを左右する時代となり、企業からの一方通行のメッセージはノイズとして埋もれてしまいがちです。こうした中、共感を呼ぶ物語を共有し双方向の対話を行うナラティブなアプローチが企業に求められています。
ナラティブをビジネスに取り入れるメリットとして、まず顧客の心に響くブランド発信が可能になる点が挙げられます。単なる商品説明ではなく、そこに物語や経験を伴わせることで顧客の共感や信頼を得やすくなります。
たとえば製品やサービスの背景にある物語を伝えたり、顧客自身の物語に結びつけて訴求することで、「自分ごと」として感じてもらえるのです。実際、Patagoniaが環境保護のメッセージをストーリー仕立てで伝えてブランドの価値観を共有したり、Nikeがアスリートの挑戦を物語として描くキャンペーンで顧客の感情に訴え成功した例があります。ナラティブはこのように共感の創出と信頼関係の構築に寄与します。
さらに社内においても、ナラティブを活用することは組織文化の醸成や人材のエンゲージメント向上につながります。上司と部下、チームメンバー同士がお互いの物語(経験や考え方)を語り合うことで、相互理解が深まり、多様性を活かした協働が生まれます。単に正確な情報をいくら伝えても相手の心に響かないという経験をお持ちの方もいるでしょうが、そこに物語(ナラティブ)が欠けているからです。
事実の列挙だけでは動かなかった人の心も、物語によって初めて動き出すことがあります。製品・サービス提供だけでなく「体験」を提供するという視点を持つことで、顧客や社員との唯一無二の関係構築が可能になるのです。
「アリとキリギリス」の物語に見るナラティブ
ナラティブという概念を理解するために、イソップ寓話の「アリとキリギリス」を例に考えてみましょう。本来この物語は、夏の間せっせと働いたアリが冬に遊びほうけて食糧がないキリギリスを助けるというストーリーです。ストーリー自体は単純ですが、ナラティブの視点で解釈すると多様な意味が浮かび上がります。
計画的に備え努力するというアリのナラティブ
一般的な解釈では、アリは勤勉に計画的に働くことの大切さを教えてくれる存在です。多くのビジネスパーソンはこのアリのナラティブ(計画と備えの重要性)に共感するでしょうし、それ自体は否定し難い教訓です。しかし、未来が不確実で予測困難である点に目を向けると、過度な計画や分業が組織の硬直化を生んでいないかという別の解釈も可能です。
。実際、長期の計画に囚われすぎた結果環境変化に適応できず「失われた30年」を招いた、という企業社会への批判的なナラティブも考えられます。
このように、同じアリの物語でも、解釈次第で計画重視のメリットにも計画に頼りすぎるリスクにも焦点を当てることができます。。私たちは往々にして「計画は重要だ」という支配的なナラティブを無意識に前提として行動しがちですが、それ自体を見直す契機にもなるのです。
その日暮らしを楽しむキリギリスのナラティブ
一方、キリギリスは「怠惰で計画性がない」という否定的なストーリーで語られがちです。しかし、不確実な状況下ではその場その場を必死に乗り切る適応力も重要ではないでしょうか。
企ベンチャー企業の創業期など、計画通りに物事が進まない場面では場当たり的でも目の前の課題に対処し続ける力が求められます。実際には多くの企業の成功物語も、完全な計画通りではなく偶然の積み重ねが含まれています。
キリギリスのように今この瞬間を燃焼させる生き方にも学ぶべき点があるかもしれません。
このように、アリとキリギリスという一つのストーリーからも、どちらを主人公に据えるか、どの視点で見るかによって複数のナラティブが浮かび上がります。
アリ的な勤勉さを美徳とするナラティブもあれば、キリギリス的な大胆さを評価するナラティブもあり得るのです。
ビジネスでも、「成功した企業」のストーリーだけを表面的になぞるのではなく、その背後にある各人各社のナラティブに目を向けることで、新たな教訓や学びが得られるでしょう。同じストーリーから多面的なナラティブを引き出すことこそ、創造的な発想やブレイクスルーの源泉となります。
ナラティブの背景にある社会構成主義
ナラティブを語る上で知っておきたいキーワードに社会構成主義があります。社会構成主義とは、「現実」と思われている事実や事物でさえ、実は社会や文化の文脈の中で人々によって構成されているという考え方です。極端に言えば、世界は私たちの認識や語りによって形作られているという立場です。
19世紀末から20世紀初頭にかけて哲学者らが議論してきたテーマに「事実そのものが存在するのか、それとも私たちの解釈こそが現実なのか」というものがありました。
たとえばフランスの哲学者アンリ・ベルクソンは、人間は物質や事物を直接認識することはできず、すべてをイメージ(像)としてしか捉えていないと述べました。
また現象学者エトムント・フッサールも、人はみなそれぞれの“メガネ”を通して現象を捉えているに過ぎないと指摘しています。イメージや現象を認識するためのフィルターやメガネがあり、このフィルターに着目しなければ本質的な事実を把握できないということです。この“メガネ”こそがまさにナラティブ――各人の無意識の思い込みや社会通念(バイアス)――であり、自分のナラティブ越しに世界を見ているに過ぎないというわけです。
こうした視点から心理学者ケネス・J・ガーゲンらは、「社会構成主義は観察の姿勢である」と述べています。つまり、物事の捉え方に唯一の客観真実があるのではなく、人々がどのような物語(ナラティブ)を語り、信じているかに着目してはじめて問題解決の糸口が見えるということです。
ナラティブは時代や状況とともに変化し、それに伴って社会も変化していきます。常識や前提と思っている物語を疑い、別の物語を構築し直すことが、変化の激しい現代における新たな価値創造につながるのです。
ドミナントストーリーとオルタナティブストーリー
誰しも自分なりの物語を持っていますが、中には本人を縛りつけているようなドミナントストーリー(支配的な物語)も存在します。ドミナントストーリーとは、当事者が「こうに違いない」「自分には無理だ」などと信じ込んでいる固定化された物語です。
たとえば「うちの職場では意見を言っても無駄だ」という思い込みがあれば、それがその人の行動や感じ方を支配し、その枠内でしか物事を見られなくなってしまいます。それが組織全体で共有されてしまうと、職場全体のナラティブ(組織風土)となり、新しい発想や対話を阻害する要因ともなり得ます。
しかし、どんな人にも別の可能性を秘めた物語が存在します。それがオルタナティブストーリー(代替の物語)です。オルタナティブストーリーとは、ドミナントストーリーに縛られていた視点を転換し、新たに描き出される前向きな物語のことです。
先ほどの例で言えば、「この職場でも対話次第で変われるかもしれない」という物語を見出すことがオルタナティブストーリーになります。
オルタナティブストーリーは、既存の支配的な物語によって生まれていた抑圧や停滞を打破し、抑圧からの解放や問題解決への衝動を生み出します。新しい解釈が生まれることで人の感情は解放され、組織では新たなビジョンや戦略が描きやすくなるでしょう。
重要なのは、私たち自身や組織が無自覚に囚われている「当たり前の物語」に気づくことです。それを疑い、別の観点から物語を語り直すことで、停滞していた状況に変化を起こせるのです。
モノローグとダイアローグ
コミュニケーションには大きく分けてモノローグ(独白)とダイアローグ(対話)があります。モノローグとは一方向の語りで、典型的には企業から顧客への広告やプレゼンテーションなど、想定された相手に一方的にメッセージを届ける形です。
モノローグ的コミュニケーションでは、聞き手は受け身であり、疑問や反論の余地がありません。そのため発信者にとって都合の良い物語だけが語られ、場合によっては自己満足で終わってしまう危険もあります。
これに対しダイアローグは対話形式、すなわち双方向のコミュニケーションです。相手から思いもよらない質問や意見が出てくることで、語り手は自分の物語を見つめ直す機会を得ます。
対話の醍醐味は、こうした予期せぬ問いかけによって新たな視点や緊張感が生まれ、物語の背景にある解釈(ナラティブ)が浮き彫りになる点です。対話の中で初めて、自分でも気づいていなかった自分自身のドミナントストーリーや思い込みに気づかされることがあります。
ビジネスシーンでも、上司から部下への一方的な指示伝達(モノローグ)だけでは社員の心は動きません。それよりも、双方向の対話を通じてお互いの考えや疑問を共有する方が、相互理解と納得感を得られます。
フィードバックとは本来ダイアローグであり、必ず質問や新たな視点を伴うものだとも言われます。こうした対話的姿勢を重視することで、単なる情報伝達では引き出せない主体的な行動変容につなげることができるのです。
ビジネスにおける新しいナラティブ創造の重要性
変化の激しい現代において、企業が生き残り成長するためには常に新しいナラティブ(物語)を創造することが不可欠です。従来の成功体験や業界の常識に基づく物語(ドミナントナラティブ)だけでは、不確実性の高い状況に対応しきれません。
実際、昨今の地政学リスクやパンデミックにより、長年有効とされた計画やサプライチェーンの前提が覆される事態が起きました。こうした予測不能な環境では、過去の物語に固執するのではなく、新たな物語(オルタナティブストーリー)を紡ぐ柔軟性が求められます。
企業文化や組織風土もまた一種のナラティブです。同質性や前例踏襲を重んじる古い物語に囚われている企業は、変革への対応力を欠きます。逆に、多様なバックグラウンドや価値観を受け入れ、新しいストーリーを創ることのできる企業はイノベーションを生み出しやすいでしょう。
事実、近年は異なる専門や文化を持つ人材を積極的に採用し、多様な視点から物語を紡げる組織作りを志向する企業も増えています。
たとえばアートやデザインの素養(美意識)を持つ人材を取り入れることで、新たなナラティブ戦略を強化しようという動きです。固定観念に捉われない柔軟な発想こそが、これからの時代の競争力になるからです。
また、顧客との関係においても、新しいナラティブの創造は重要です。従来は企業が用意したブランドストーリーに顧客を当てはめる形が一般的でしたが、現在は顧客と共に物語を作り上げる姿勢が求められます。
顧客が企業と双方向に関わり、自分たちの経験や価値観を反映できるブランドほど、強いエンゲージメントが生まれます。企業にとっては、一方的にミッションを語るのではなく、「顧客と共にどんな世界を作っていきたいか」を対話できる土壌を用意することが大切なのです。
職場の人間関係を良くする対話とナラティブ
職場における人間関係の悩みにもナラティブの視点が有効です。たとえば上司と部下の意思疎通がうまくいかない、部署間の対立があるといった場合、その背景にはお互いに異なる物語(受け止め方や前提)が存在しているかもしれません。人は誰しも自分なりのストーリーを生きており、当人には当人の「正しさ」や事情があります。
しかし表面的な言動だけを捉えて「なぜ分かり合えないのか」と嘆いていても、相手の物語に触れない限り本当の理解には至りません。
こうした「わかり合えない溝」を埋めるには、対話によってお互いのナラティブを探ることが重要だと指摘されています。
相手がどんな物語を生きているのか、何を大事にし何を不安に思っているのか――じっくり耳を傾け問いかけることで、初めてその人のドミナントストーリー(思い込みや前提)が見えてきます。たとえ意見が対立しても、「なぜそう思うのか」をお互いの物語まで踏み込んで理解しようとする対話の姿勢があれば、対立そのものを新しい物語に変えていくこともできるのです。
職場の信頼関係向上にもナラティブアプローチは有効です。単なるタスクの伝達だけで日々が過ぎる職場は稀かもしれませんが、もしチーム内で信頼関係の低下を感じたら、意識的に対話の機会を設けることが大切です。
お互いの経験談や価値観を語り合い、相手のナラティブに耳を傾けることで、表面的な言葉の裏にある思いを理解できます。ただし、ナラティブは一朝一夕に変化するものではないため、腰を据えて時間をかける必要があります。心理的に安心できる場を整え、傾聴に徹することで、少しずつ誤解や摩擦の原因となっていた物語が解きほぐされ、信頼関係の土台が築かれていくでしょう。
実際、「対話型組織開発(ダイアログを用いたOD)」の分野でも、相手の語る物語を探り新たな可能性を生み出すことが重要視されています。リクルートマネジメントソリューションズの宇田川元一准教授は、私たちの思考や行動に制限を与えている支配的ナラティブに気づき、対話を通じて新しい可能性を生み出すことが組織開発のポイントだと述べています。
対話によってお互いの隠れた前提を共有できれば、「本当は目指しているものは同じだった」といった共通の物語を再発見できるかもしれません。人事や経営企画の立場からは、メンバー同士が安心して物語を語り合える機会(ワンオンワンやワークショップ等)を設計し提供することが、良好な職場関係づくりの鍵となります。
対人関係の問題解決に向けたナラティブアプローチとは
カウンセリングやコーチングの文脈で発展したナラティブアプローチは、対人関係の問題解決手法として近年ビジネスにも取り入れられています。ナラティブアプローチでは、相談者(対話の相手)が自分の「物語」を自由に語ることで問題を客観視し、新しい解決策を見出すことを目指します。
これは1990年代に臨床心理学の領域から生まれた手法で、否定的な思い込みに囚われている物語(ドミナントストーリー)を対話を通じて肯定的な内容に書き換えるアプローチです。
ビジネスにおいて上司と部下の関係に応用すれば、部下自身にキャリア上の悩みや職場の課題について存分に物語ってもらい、上司はそれを傾聴します。語りの中から部下が抱えるドミナントストーリー(例:「自分は評価されていない」「この部署では成功できない」等)を一緒に見つけ出し、それを転換する対話を重ねるのです。
ナラティブアプローチではアドバイスや指示を一方的に与えるのではなく、問いかけと傾聴によって相手自身が新たな視点に気づくのを支援します。従来の上意下達型の支援では生まれにくかった主体的な変化を引き出せる点が特徴です。
ナラティブアプローチの5つのステップ
ナラティブアプローチを実践する際には、一般的に次の5つのステップを踏むとされています。
ドミナントストーリーを聴く
まずは相手が語る現状の物語(悩みや問題に関する支配的なストーリー)を丁寧に聞き取ります。悩んでいる人は自分でも気づかないうちにネガティブな思い込みに支配されています。現状をどう捉えているかを整理し、相手の語りからドミナントストーリーを把握します。このステップでは傾聴に徹し、相手の感じている事実と解釈をありのまま受け止めることが重要です。
問題を外在化する
相手の物語に出てくる問題を本人から切り離して捉え直します。人は問題を自分自身のせいだと内在化しがちですが、それでは自己否定的な思考に陥りやすくなります。
そこで問題に名前を付けるなどして客観視できるようにします(たとえば「怒りん坊ドラゴンが現れる」などユーモラスに表現する)。
こうすることで、「自分」が悪いのではなく「問題」があるのだと認識でき、冷静に対処策を考えやすくなります。
反省的な質問を行う
続いて、相手の物語に対していくつかの角度から質問を投げかけます。具体的には「誰が・何を・どんな経験が関わっているのか?」といった質問をしながら、一緒に物語の背景を考えていきます。
これは相手に新しい視点を提供する問いかけであり、相手自身が自分の物語をメタ認知できるよう促すものです。質問を通じて、相手の認識していなかった要因や影響関係が明らかになってきます。
例外的な事実を探す
物語を掘り下げていくと、今のドミナントストーリーとは矛盾するような例外的エピソードが見つかることがあります。
たとえば「上司に意見は通らない」と思い込んでいたけれど、過去に一度だけ意見を聞いてもらえた経験があれば、それが例外的な事実です。そうした例外に注目し、「なぜその時はうまくいったのか?」とさらに問いを重ねます。例外のエピソードは、新しい物語を構成するための種(ヒント)になります。それを掘り下げることで、否定的な物語に変化を起こすきっかけを探るのです。
ポジティブな物語に置き換える
最後に、得られた例外的事実や新たな視点をもとに、問題に対する新しい物語を組み立てます。これがオルタナティブストーリーです。重要なのは、最終的に問題の解決や前向きな変化につながるポジティブな物語に置き換えることです。「上司は自分を認めてくれない」ではなく「上司も自分の成長を期待しているかもしれない」といった物語に書き換えることで、行動の選択肢が広がります。こうして構築された新たな物語を当事者が受け入れることで、現実の行動や捉え方にも変化が現れ始めます。
以上がナラティブアプローチのおおまかな流れです。このプロセスでは、対話を通じた共同作業によって物語の書き換えが行われる点がポイントです。単に助言者が解決策を与えるのではなく、当事者が自ら新しい物語を紡ぐことに伴走するため、本人の納得感と主体性が高まります。その結果、問題解決だけでなく、当事者の自己理解の深化や成長にもつながるのです。
ナラティブアプローチに必要なスキル
ナラティブアプローチを実践するためには、対話を円滑に進め相手の物語を引き出すためのいくつかの基本スキルが求められます。代表的なものを順に解説します。
傾聴(アクティブリスニング)とオープンな質問
相手の語る言葉や感情に深い関心を寄せ、評価や先入観を持たず受容する態度が重要です。相槌や繰り返しによって「あなたの話を理解しようとしています」というメッセージを送り、安心して話してもらえる雰囲気を作ります。
また、問いかけは「Yes/No」で終わらないオープンエンド質問を使うことが有効です。たとえば「それについてもっと聞かせてもらえますか?」「その時どんなお気持ちでしたか?」といった質問を投げかけることで、相手は自分の思考や感情をさらに深く掘り下げて話すことができます。こうした傾聴と質問のスキルによって、相手のナラティブをより豊かに語ってもらうのです。
リフレクション(反映)とフィードバック
リフレクションとは、相手の話の内容や感情を鏡のように映し返すことです。たとえば相手が「プロジェクトが失敗して自信を失いました」と語ったら、「それはとても辛い経験でしたね」と返すことで、相手の感情に共感し理解していることを伝えます。
この反映的な関わりによって相手は「自分の気持ちが理解された」と感じ、安心してさらに自己開示できるようになります。またフィードバックの際には、相手が思いもよらなかった視点を提供することが大切です。単なるアドバイスでは人は動きませんが、自分では気づかなかった新たな見方を提示されるとハッとするものです。予測不能な問いや指摘にこそ対話の価値があります。
ただし、フィードバックはあくまで相手が自分で考えるきっかけを与える形で行い、押し付けにならないよう留意します。
心理的安全性と自己開示
ナラティブな対話では、お互いが安心して本音を話せる場作りが不可欠です。話した内容が勝手に他言されたり評価に直結するようでは、人は心を開けません。対話のファシリテーター役となる人(上司や相談員など)は、秘密保持と言葉遣いに最大限配慮し、対話の場を安全地帯にする必要があります。
また、対話をリードする側も適度に自己開示を行うことが有効です。自分の失敗談や感じている課題などを率直に話すことで、相手も「この人になら心を開いても大丈夫だ」と感じるものです。心理的安全性が担保された場ではじめて、人は深い部分の物語まで語ろうと思えるのです。
多様な知見と柔軟な思考
ナラティブアプローチで新たな物語を共創するには、固定観念にとらわれない柔軟な発想が求められます。そのために有用なのが、ビジネスの枠を超えた幅広い知識や教養です。心理学・哲学・文学・芸術など人文学の知見は、人間の物語を理解する助けになります。たとえば歴史上の物語や異文化の価値観を知っていれば、「今とは違うナラティブ」を思いつきやすくなるでしょう。
最近ではビジネスパーソンにもリベラルアーツ(一般教養)を学ぶ重要性が説かれていますが、それはまさに多面的な視点で物事を捉え新しい物語を紡ぐ力を養うためだと言えます。組織内の対話でも、異なる業界の例え話をしてみたり、物語にユーモアを交えてみたりといった柔軟さが、新しいナラティブ創出のきっかけとなるでしょう。
以上のようなスキルをバランスよく用いることで、ナラティブアプローチは効果を発揮します。言い換えれば、相手の物語を深く理解し、新たな物語を一緒に紡ぐ伴走者になることがナラティブアプローチ実践者の役割なのです。
ナラティブマーケティングの活用事例
具体例として、日本企業におけるナラティブマーケティングの成功事例を紹介します。
無印良品(良品計画)
無印良品はSNSを活用したナラティブマーケティングの先駆者です。Instagramでの商品紹介では、あえてすべてを説明し切らずに「余白」を残す手法をとっています。
たとえば新商品の紹介で「前カバーが外せます」とだけ伝え、「だから掃除がしやすい」といった利点は言及しません。そうすることでユーザー自らが使った際に「掃除しやすい!」という発見の物語を生み、それを他の人に語りたくなるよう促しています。実際、ユーザーが発見を共有・拡散することで商品の人気に火が付き、店頭から商品が消える現象も起きました。このようにユーザー参加型(巻き込み型)の物語作りによって、「消費者の共感」を軸としたマーケティングを成功させています。
SUBARU
自動車メーカーのSUBARUはテレビCMに加えてショートストーリー(小説)を公開するなど、マルチメディアでナラティブマーケティングを展開しています。
テレビCM「あなたとクルマの物語」では、車そのものよりもユーザーの人生における車との思い出に焦点を当て、あくまでユーザーを主人公に据えた内容にしました。企業メッセージは前面に出さず脇役に徹することで、「この物語は自分にも当てはまる」と感じてもらいやすくしています。
その結果、多くの視聴者がストーリーに共感しブランド好感度を高める効果を上げました。SUBARUの事例は、顧客を主人公にした物語によってブランド価値を伝える好例と言えるでしょう。
以上のように、ナラティブマーケティングは単なる商品PRではなく顧客とブランドが共に紡ぐ物語の創造である点に特徴があります。企業側は黒子に徹し、ユーザーにスポットライトを当てる。これによりユーザーの心に深く刺さるメッセージとなり、結果的にビジネス成果(売上やファンの獲得)にも結びついていくのです。
まとめ
人は皆、自分だけの物語(ナラティブ)を持ちながら日々を生きています。そして私たちの行動や意思決定は、しばしば自分でも意識しない物語(思い込みや常識)に影響されています。支配的なドミナントストーリーは前に進む力になることもありますが、一方で変化を阻む足かせにもなり得ます。
ビジネスにおいて成功体験や業界の常識が「こうあるべき」という支配的ナラティブとなってしまうと、環境の変化に適応できずジレンマに陥ることがあります。しかし、ナラティブという視点で自分や世界を捉え直すことで、このジレンマを乗り越え未知のストーリー(行動)を起こすことが可能になります。
新しい解釈から生まれる物語(オルタナティブストーリー)は、これまでなかった価値観や戦略を生み出し、停滞を打破する原動力となるでしょう。
では、どうすれば新しいナラティブを創造できるのでしょうか。その鍵はやはり「対話」と「多様性への開放性」にあります。自分とは異なる他者との対話や、未知の世界への飛び込み(新しい体験)が、狭まっていた視野を広げてくれます。自分一人の中に留まっていては、今までの延長線上の物語しか生まれません。違いに対して恐怖や抵抗を感じていては、新しい物語を受け入れることはできません。多様な他者と軽やかに境界を越えて関わることで、自分のナラティブの枠もどんどん拡張していくのです。
最後に、高度成長期から成熟期への移行期にいる日本企業にとっても、ナラティブの再構築は避けて通れない課題です。これまでの延長では立ち行かない状況に対し、恐怖や不安を煽るのではなく、未来に向けて「あるべき物語」を共に創ることが求められています。イノベーションやコラボレーションの源泉は理屈ではなく絶え間ないコミュニケーションと情熱から生まれるエネルギーです。
社員同士が信頼関係を築き、それぞれの物語を尊重し合いながら、新たなビジョンを語り合える組織こそが強い組織と言えるでしょう。ナラティブアプローチを通じて育まれた対話の文化は、まさにその土台となります。
今、貴社ではどんな物語が語られ、共有されているでしょうか?もし古い物語が惰性で語り継がれているだけなら、新しい視点を取り入れるチャンスかもしれません。社員一人ひとりが自らの声を持ち寄り、対話を通じて未来志向の物語を紡ぎ出すことで、組織は停滞から動き出し変革への一歩を踏み出すことができるのです。
関連事例
ナラティブとは何か?意味やビジネスで活用する手法についてよくある質問
- ナラティブとはどういう意味か?
ナラティブとは、日本語に直訳すると「物語」や「語り」という意味の言葉です。しかし、単なる物語というだけでなく、ある事象や出来事に対して、人々がどのように意味づけを行い、解釈し、語り継いでいくかという、より広範な概念を含んでいます。多様化するグローバルにおいて、言葉やシンボルは同じでも、人の拠って解釈が全く違うことが増えてきています。これは、人によって解釈する背景が違うため、解釈を形成する人々のモノの見方をナラティブという事もあります。
- 心理学でナラティブとは何ですか?
心理学における「ナラティブ」とは、個人が自分の人生や経験を物語として語ることで、過去の経緯や経験に対して、振り返り、自己理解を深め、問題解決につなげていくという概念です。
- 「ナラティブ」の言い換えは?
心理学の文脈: ライフストーリー、自己物語、語り
マーケティングの文脈: ブランドストーリー、顧客ストーリー、物語性
社会学の文脈: 社会物語、集団物語、歴史叙述
文学の文脈: 叙事詩、物語文、小説
どの言い換えを選ぶかは、文脈や伝えたいニュアンスによって異なります。例えば、心理学の文脈では「ライフストーリー」や「自己物語」が、マーケティングの文脈では「ブランドストーリー」が、それぞれ適切な言い換えと言えるでしょう。

株式会社ソフィア
先生
ソフィアさん
人と組織にかかわる「問題」「要因」「課題」「解決策」「バズワード」「経営テーマ」など多岐にわたる「事象」をインターナルコミュニケーションの視点から解釈し伝えてます。
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