リベラルアーツとは?ビジネスにおいて注目されている背景や学び方について解説

リベラルアーツとは?ビジネスにおいて注目されている背景や学び方について解説

リベラルアーツという概念を聞いたことはあっても、内容はあまり理解できていないという人もいるでしょう。名称にリベラル=自由と付いていることから、意識の高いビジネスパーソンが学んでいるスキルのように思え、自分には関係ないと感じる方もいるかもしれません。

しかし、リベラルアーツは全ての人が学べる学問であり、将来の見通しが付きにくい現代のビジネス環境においては、取り入れる価値が非常に高いものです。

現代人は、学校教育で行われる「決まった正解」があるテストや課題問題などを解き続けたことにより、物事には正解があると錯覚している節があります。しかし、実際の社会には決まった正解のない問題が溢れており、その複雑さは学校教育で身に付けた問題解決能力だけでは対処しきれるものではありません

大学の論文やビジネスにおける大部分は、「決まった正解」があり、問題や課題はAIが方法論を提供してくれますが、AIだけでは複雑化した現代ビジネスの課題や問題に対処することは難しいでしょう。

リベラルアーツは、上記のような問題の定義が複雑で、解決策が複数存在する不確実の壁が立ちはだかった際に、自由で柔軟な発想や視点によって壁を切り抜け、ビジネスを切り開いていくための手段を学ぶ学問です。

本記事では、リベラルアーツの起源・日本と欧米におけるリベラルアーツの違い・リベラルアーツが注目される理由・学ぶべきリベラルアーツの学問などについて詳しく解説していきます。

リベラルアーツとは

社会の状況は時代・地域・宗教・民族によって変化するものであり、人々の考え方や生き方も時代や国によって異なります。そのような多様化する社会の中で、他者を尊重しながら自分の意見・立場をはっきりさせ、他者の排除・否定ではなく、共存していく姿勢を養う学問がリベラルアーツです。

つまり、リベラルアーツは知識を習得する学問ではなく、多様で複雑な実社会を柔軟に生き抜くための知恵・スキルを学ぶことを主とする実践的な学問だと言えるでしょう。

リベラルアーツの起源

リベラルアーツの起源は、古代ギリシャ・ローマ時代まで遡ります。ローマ時代には「自由7科」と呼ばれる学問があり、「文法」「修辞」「弁証」「算術」「幾何」「天文」「音楽」の7つが学ばれていました。現代のリベラルアーツにも通底する要素はありますが、ローマ時代において「自由7科」を学習することは教養を広げるという目的ではなく、どちらかと言えば感性を広げるといったニュアンスだと言えます。

「自由7科」が持っていた感性を広げる目的は現代のリベラルアーツにも受け継がれており、とくに「美学」「音楽」などは教養だけでなく、感性を磨き・広げる学問として存在しています。また、現代のリベラルアーツで学ぶ学問の中でも「文法」「法律」「算術」「幾何学」「医術」などは資本主義と紐づいて連携し、投資によるバックアップによって研究開発が進んでいるのも大きな特徴です。

現実の資本主義社会において重要なのは、投資が集まる分野に焦点を当て、将来的に注目を集める可能性がある学問にも力を入れるべきということです。リベラルアーツは新しい視点を持つことのできる、今後投資が増える可能性のある学問でもあります。

リベラルアーツと奴隷制

リベラルアーツ誕生には、奴隷制が深く関わっています。古代ギリシャでは国民は自由民と非自由民(奴隷)に分けられており、人身売買によって生産・家事などの仕事を強制されていた人々が存在していました。非自由民(奴隷)が国のいわゆるインフラを回し、一方で自由民が勉強や貿易などを行っていた歴史があります。そんな中、自由民が学んでいた勉学の中で誕生したのが「教養を高める教育」=古典的リベラルアーツです。現代でいうならば、経済的に豊かで知的階層に属する国民に許された教育とも表現できます。

日本の歴史においても、平安時代にはリベラルアーツのような考え方がありました。それは「有職故実(ゆうそうこじつ)」と称され、公家・朝廷・武家などが行う制度・行事・習慣・官職などに関する先例、あるいはそれらを個別に研究する学問です。武士も「有職故実」を学びたがる者が多く、平安時代末期に武士として初めて政権をつかんだ平清盛も、藤原摂関家から「有職故実」の虎の巻を学び、平氏政権を樹立しています。

では、リベラルアーツは特定の階級のみが知り得る学問で、奴隷が果たしている個別の技術や作業とはまったく異なる特権階級の学問なのでしょうか。

人文学者である半田智久が発表した学術論文によると、リベラルアーツは職業的な学び・教育から始まり、「実用性から自由になった学芸」と述べています。つまり、技術や知識といったものは、所属する組織や環境に縛られる奴隷的技能でありながらも、その延長線上に自由な発想・創造があり、解放奴隷や軍人がその後、後世に名を遺した歴史的事実からみても、リベラルアーツは特権階級だけの学問ではないと述べています。

現在のビジネスで言えば、特定の分野のエキスパートになるには1万時間が必要だと言われていますが、プロフェッショナルとして価値を提供できるというのは、その所作や技術を持っているだけではなく、技術や所作を自分の中で構造化し、その領域の「真理」「流儀」を自分なり持つことです。これは、リベラルアーツに通じるものがあります。

リベラルアーツは一部の「意識高い系」と揶揄されるエスタブリッシュメントの嗜みではありません。徹底的に探求した実務から昇華される真理でもあり、誰でも使え獲得できるものです。しかし、このリベラルアーツを知識として訳読や暗記するように学習するだけでは、自由な発想を得ることはできません。リベラルアーツを、実際の実務や実業に活かすことで、自身の実感として獲得し、自由な発想の生み方を学び、目の前の課題が別のモノに見えてくるでしょう。

リベラルアーツは、より広義の教養を学ぶことで、置かれた環境や目の前の出来事に縛られないより実践的な生きるためのスキルを身に付ける概念です。古代ギリシャの哲学者であるソクラテスやプラトンも、専門分野であった弁論・数論などに並べて、鞄作りの技法・技術を熱く語るといった自由な発想を見せていました。個別の専門分野に縛られない発想、これがリベラルアーツの真髄であり、柔軟な物事の見方・捉え方の1つと言えるでしょう。つまり、リベラルアーツの「自由」とは、奴隷階級からの自由ではなく、何にも縛られない発想や知恵の「自由」であるという事です。

古代ギリシャの歴史に照らし合わせて考えてみると、現代の日本でも、「社畜」などという侮蔑的な言葉でサラリーマンを奴隷とする風潮がありますが、自分の仕事を矮小化する事などありません。逆にもっと広義の意味では、自発性を失ったまま時間・労力を費やしている状態、つまり自由な発想ができない状況がむしろ、奴隷的なのではないでしょうか。

そういった価値観や思い込みから脱する足がかりとして、リベラルアーツを学ぶ意義がビジネスパーソンにはあるでしょう。

日本と欧米のリベラルアーツ教育の違い

欧米の学問体系は、「アート(art)」「サイエンス(science)」の2つに大きく分かれています。キリスト教の世界では、人間がつくったものをアートとして扱い、文学・美術・音楽・歴史・哲学などが該当します。神がつくった世界=自然(ネイチャー)を研究するのがサイエンスで、化学・物理学を自然科学、経済学・心理学を社会科学と定義しています。

日本ではこのような厳密な体系化はされておらず、明治の頃より輸入されてきた学科が文系・理系にはっきりと分けられないまま雑然と存在しているのが実情です。これにより、文系の中に理系が存在したり、逆に理系の中に文系が存在したりするなど、欧米の学問体系からはありえない状態になっています。そのため、日本では欧米のような学問体系の基礎がないとされ、本質的な意味でもリベラルアーツ教育が存在しないとも言われています。

また、日本の大学生は就職を有利にするため、もっと言えば生活のために理系の学習を重視する傾向にあります。しかしながら、昨今、AIが実用可能レベルの水準で登場したことで、古代ギリシャの非自由民(奴隷)=ルーティン化された仕事は自動化さる事が予測されるため、現代では、AIを使いこなす技術・AIそのものを創り出す技術が求められており、一般的な就職をする社会人にとって理系は重要ではなくなっているのも現実です。とくに、近年普及している生成AIは指示するためのプロンプト(言語)をどのように扱うかが大切であり、これはむしろ文系で学ぶ能力です。とはいえ、形式的に理系が就職に有利な状況はまだ続く可能性が高いため、リベラルアーツによる広義の学習により、理系・文系の両方を学ぶことも大学生には必要だと言えるでしょう。

何よりも、テクノロジーが普及し、グローバル化によって多様化した現代において価値を生み出すために、ビジネスパーソンや企業こそが、大学生以上にリベラルアーツを学ばなければならないのではないでしょうか

リベラルアーツが注目されている背景

リベラルアーツが現代のビジネスシーンで注目されている理由は、大きく分けて2つあります。

1つ目の理由は、テクノロジーの進歩・普及によってビジネス環境の変化が激しく、将来の見通しが予測困難になったためであり、2つ目の理由は、ビジネスの世界に、学校・大学のテストや課題のような明確な答えがないケースがより多くなってきていることにあります。

さらに、AIの登場により、問題の設定・問いを立てるという行為以外の多くは、AIが代替するようになってきていることも、リベラルアーツのニーズの高さに影響しています。

リベラルアーツは、機械的・事務的作業から開放された現代人に、次の行動を起こすための知恵をもたらしてくれる学問であるため、ビジネスの世界で注目されている側面もあります。

つまり、既存の枠組みの中の問題解決に人間は必要とせず、新しい価値や課題の設定に私達の仕事は移行しつつあり、その領域には今までにない視点や感性が必要だという事です。

AIによって、退屈で単調な仕事から人間が解放されたという事は、素晴らしい事であり、それを恐れる必要も心配する必要もありません。大事なことは、企業という場で社員に求められる能力が劇的に変わってきたことであり、この変化に対処するためにリベラルアーツの視点や感性が重要だということです。

リベラルアーツは、個々のスキルというよりはむしろ、「如何に生きていくべきか」をも含む、フィロソフィーであるとも言えるでしょう。ギリシャ時代、リベラルアーツの根底には哲学がありました。哲学は、科目の名前で呼ぶ必要がないほどギリシャでは、当たり前に学ぶ一般常識のようなものでした。

この一般常識は、個別でも具体でもありませんが、そうであるが故に、時代と場所を超えた普遍性を持ち得ます。ギリシャ哲学は、現代へと続く人間が抱える問題を普遍的に取り扱っているため、どれほど世界が不確実でも、どれほどテクノロジーが進歩しても、人間が滅亡しない限りは必要とされるものなのです。

現代のビジネスにおいて、リベラルアーツを学ぶという事は、かつてのギリシャ自由人たちが何とかして普遍・真理に到達しようとしたその後を辿ることであり、その作業はビジネスだけではなく私生活に至る所でも力とヒントを与えてくれるでしょう。

価値の創造から衰退のサイクルのスピードが早い

デジタル化が加速している現代社会では、新たなアイデアや技術がニッチな市場で頻繁に誕生しており、この小さなアイデア・技術が進化し、急速に普及することで、大きな既存市場を飲み込んでしまうこともあります。

たとえば、ハイテク市場においては、コンピュータやハードディスクなどの技術・サービスの進化スピードが速く、価格競争になるサイクルが短くなっています。そのため、市場・価格・性能面で特化した1つの企業が一時的にシェアを多く奪うこともよくあります。その結果、市場全体に競争が起こって活性化し、一気に投資が集まることでさらに複数の新製品が登場するサイクルが短くなるといった現象が起こります。これはハイテク市場のみならず、あらゆる業界・サービスで起こっている現象でもあります。

また、最新のテクノロジーによって、商品やサービスの製造や運用が効率的になり、それにより付加価値が高まっています。しかし、同時に商品やサービスの寿命も短くなっているのです。これは、企業や人々が迅速な投資のトレンドに追随し、商品やサービスの消費・衰退がサイクルが急速になっていることを意味し、実際には、価値の創造よりも、価値の消費生産が主体になっています。

その背景として、世界中でインターネットと投資環境が整備されたことにより、商品やサービスが世界中で認識されると、その特定の商品やサービスに急速に投資やビジネスが集中し、すぐにバブル状態が生まれていることを示しています。

上記のような状態を一言で言えば、コモディフィケーション・コモディティ化であり、あっという間に、多大の労力をかけた新商品は汎用品になる時代です。そして、汎用品化に従事する主役は、人ではなく機械やAIになりつつあるという事です。

このような状況を打破するための思考の土台として、広義の教養が学べ、固定観念や目の前の現象への捉われから脱するきっかけを作れる、リベラルアーツが役立つと言えるでしょう。

単調な作業はAIがこなしてくれるため、人間がするべきことは、一重に価値の創造です。ここで言う「価値」とは、投資対効果という意味ではありません。自分も含めた顧客が、何を素敵だと思い、何に惹きつけられているのかを分析し、それを創造していくことを意味します。価値とは創造であり、これからの人間がもっぱら従事する分野もこの創造であるとはっきり確認しておきましょう。

このような意味において、投資が集まっていなかった美学や音楽を含むリベラルアーツは、価値創造に大きな手掛かりを与えてくれることは間違いありません。ビジネスにおいてデザインや美学が取り入れ始めていることは必然であるとも言えます。また、ビジネスパーソンが絵画や芸術という、「美学」に着目し始めていることも、一つに流れではないでしょうか

実は、この「美学」こそ従来に日本の職場に最も欠けていたものであり、言い換えれば他社に先駆けて、美的感性を社員に広める事の出来る職場は、それだけに有利に立つことができます。リベラルアーツを意識しているかどうかが、AI時代を生き残れるかどうかの分かれ道といっても過言ではありません。

複雑な事を複雑に引き受けることができなくなった

インターネットの普及により、現代社会ではSNSをはじめとした伝達ツールが人々を繋げ、情報化社会の様相を強めています。距離などの物理的・空間的な制約から人々を開放し、コミュニケーション・情報伝達・物流などの利便性を高めた一方で、より複雑で対処しきれない状況に世界中の人々が曝されています。また、現代のテクノロジーは進歩の速度が早すぎるため、人間の能力が追いつけなくなっている側面があります。とくに情報に関しては顕著で、個々の情報を複雑なまま受け取り、掘り下げて考えることが困難になっているのが実情でしょう。

さらに、個々のツールの機能が最適化され続けていることにも、気を付けなければなりません。たとえば検索機能は、ユーザーエクスペリエンスを向上させるために個別ユーザーの検索パターンを判別し、ユーザーの欲しい類似情報を自動的に提供してくれる仕様になっています。これは利便性がある反面、私たちの認識はパターン化された同じような情報を受け取り続けるようになるため、いわゆるフィルターバブルの状況に陥ってしまい、思考が固定化されてしまうリスクがあります。

AI時代に突入した現代のビジネスシーンにおいて、パターン化された思考を持つことは人間ならではの創造性を阻害し、機械が得意とするパターン認識の型にはまってしまうことを指します。決まったことを考え、繰り返す存在、これでは古代ギリシャの非自由人(奴隷)と変わらないのではないでしょうか。

とはいえ、情報が氾濫する現代社会において、複雑な物事を複雑なまま受け取ることは困難です。単純化され流れてくるニュース、注意を惹きつけることに特化したバズワードなど、情報過多な現代人に合わせ、考えることを最小にした形で情報が流れてくるからです。

そこに、リベラルアーツなどが入り込む余地はありません。テクノロジーという利便性と引き換えに、リベラルアーツで言うところの「自由」を失っており、企業活動やビジネスシーンにおいては、よりそれが顕著になる傾向にあります。今後のAI時代に、リベラルアーツを常に意識しておくことがビジネスのパターン認識から脱却するきっかけになります。

ビジネスの実践においても、複雑さを排除しようとする傾向があります。しかし、低解像度の仮説や中途半端な実践や議論は、最初からAIに入力して結果を得る方が良いかもしれません。独創的で創造的な活動をするためには、物事の複雑性を受け入れ、理解し、吟味し、アウトプットに繋げる必要があります。単純化された活動はAIが得意とする分野であるため、人間がAIと異なる役割を果たすためには、物事の複雑性に真正面から向き合う必要があります。

リベラルアーツはこのような情報の取捨選択に役立ちます。広範囲の教養から必要な情報を選び取り、掘り下げる知恵やスキルを身につけることが可能です。複雑な状況になればなるほど、選び取る判断力が重要になります。この判断力は価値に基づいており、価値の基準がなければどの情報を選び取るべきかがわからなくなるでしょう。

単純な計算や繰り返しの作業はAIが行うことができます。そのため、人間の役割は、判断し、決定することに集中することになるでしょう。

多様な価値観と多様な技術を持つ人たちとのコラボレーション

社会の多様化が進んでいる現代社会では、経験・立場・性別・国籍など、様々なバックグラウンドを持つ人と関わる必要があります。つまり、ビジネスの現場においては、今まで以上にコミュニケーション能力が重要であり、部署・組織の壁を越えた提携や連携が頻繁に行われる中で、個々のビジネスパーソンや企業・組織は多様化した社員・関係者の異なる視点・文化・考え方を受け入れ、協力し合うことが必須なのです。そうでなければ、変化の激しい現代のビジネスにおいて企業が生き残ることは困難であり、さらに個々のビジネスパーソンが時代にマッチした成長を遂げることもできません。

つまり、これからのビジネスパーソンは、「越境」しなければならないということです。近代社会の後に、ポストモダン社会が来ると予言した哲学者たちは、一様に近代の枠組みを壊し、その境界線を飛び越え、見たこともない他者とコミュニケーションし、コラボレーションする社会システムを提示しています。

自分と同じ考えを持ち、似た好みを持つ者だけで関係を構築する時代は終わりを迎えます。理念・ゴールを共有しながらも、異なるバックグラウンド・視点・思考を持つ者同士が連携することで、創造的な商品・サービスの開発提供、企業としても時代に適した事業展開を行っていかなければなりません。リベラルアーツはそういった異文化コミュニケーションの領域でも効果を発揮する学問であり、修辞学・心理学・歴史学などの教養も身に付けるため、多様化する人々を受け入れる土台を形成できるのも強みです。

今学ぶべきリベラルアーツ5選

ここからは、学ぶべきリベラルアーツを具体的に解説していきます。とはいえ、本記事だけで、リベラルアーツの全てご紹介する事は困難であるため、ここではとくに現代のビジネスで有用であり、今の日本企業に有効な視点を与える学問について紹介します。

哲学/社会科学

哲学/社会科学はリベラルアーツで学べる重要な学問の1つです。近代哲学の始まりとされるイギリス経験論と大陸合理論、ドイツ観念論から始めるとなると、積読が増えるばかりのため、現代と今後につながる哲学を中心に紹介していきます。

哲学を学び、現在の日本経済や実務に別に視点を産み出すうえで、適合するのがフーコー、ドゥルーズ、デリダといったポスト構造主義の哲学者や思想家です。もちろん古代、中世の哲学も存在し、最新の哲学にはもっと面白い内容もあります。

しかし、現在の日本企業や日本経済は哲学では「モダン」を脱しているとは言えないでしょう。「ポスト」は「後」という意味で、ポストモダンは、「モダン」の後に来る哲学を差します。

ポストモダンは、二度にわたる世界大戦を経て、ソ連の崩壊に見る全体主義や計画経済の崩壊という経験から、そもそも「計画」や「管理」もしくは「権力」というものは、本当に有用なのかという視点です。もっと言えば、高度に計画され管理された安定や体制は、時代遅れでテクノロジーの素早い変化や経済など流動性に全く対応できないのではないという前提
です。世界や社会、もしくは人間は、実はもっと流動的で、安定などできないのではないかという視点でもあります。

ここ近年の「アジャイル」「レジエンス」という経営のキーワードが、叫ばれるようになりましたが、1960年代から既に、同じようなことは哲学においては提唱されていました。「アジャイル」「レジエンス」を、デジタル領域でカバーできる技術はありますが、この「計画」や「管理」、「権限」をもっと手放すことができなければ組織や社会は対応できないのではないでしょうか?「計画」は「仮説」になり、「管理」は「学習」になり、「権力」は「影響力」に変化しています。

世界的に見ても、米国一極であるユニポーラーから、多極型であるマルチポーラーに移行しつつあります。また、グローバルサウスという新たな多様性の高い市場が出現しています。

ポストモダンのジル・ドゥルーズが提唱した「リゾーム」という概念は、相互関係にない異質な者同士が階層や上下関係ではなく、横の関係で結びつく概念を提唱しました。

これは現代の複雑で多様化されたビジネスの世界に当てはまっています。大半の日本企業のコーポレートサイトには、ヒエラルキーの階層型組織が記載されています。しかし、実体は、「プロジェクトチーム」「委員会」「タスクフォース」が裏側で動いており、表側のヒエラルキー組織よりも裏側のチームが戦略的で価値の源泉になっています。流動的なチームが実態の公式の組織よりも重大な仕事をしている可能性すらあります。

このリゾームは、「根茎」と訳されることから分かるように、根の部分では、通底しています。ビジネスにおいても、大まかな目標や理念では繋がっていればよいという組織の見方です。それはあくまで根の部分であり、表層においては、まるっきり違ったように見える要素が、あちこちに登場し、予測不可能な集合離散を繰り返します。このリゾームモデルこそ、変化の速度が加速した現代のビジネスに最も適合しうるモデルでしょう。昨今の組織論の「ティール組織」や「ホラクラシー」などは、ポストモダン哲学が通底しています。

リゾームモデルの特徴は、表面では変化がバラバラに見えるかもしれませんが、実際には見えない根の部分でしっかりと集団が繋がっていることです。根がバラバラな場合、それは無秩序であり、組織は成り立ちません。しかし、根でしっかりと繋がっているため、見た目にはバラバラに見えても、振れ幅には限度があり、極端なものが生まれにくくなります。

しかし、本当にそんなことをしたら、組織のガバナンスを保てるでしょうか?、権限や管理を開放などできるのでしょうか?

権限や権力は、一般的には上から下へと落ちていくものと認識されています。しかし、ポストモダンのミシェル・フーコーは、権力の分散に着目しました。ミシェル・フーコーは権力が特定の中央の機関や個人に集中するだけでなく、社会全体に広く散在していると捉え、個々の人々、制度、知識の構造などが、さまざまな形で権力を行使していると考えました。

一例として、フーコーはパノプティコンと呼ばれる監視システムにおいて、権力が特定の機関や人物によって行使されるだけでなく、社会の構造や知識の制度によっても行使されていると論じました。また、権力は言語や文化の中にも組み込まれており、普段の生活や日常の構造にも潜んでいると考えました。権力の在処がはっきりせず、分散してしまい、見えなくなった状態こそ、近代なのだとフーコーは主張しています。

パノプティコン

 

これは、今の大企業、もしくは日本のサラリーマンの状況と似ていると想起する人もいるのではないでしょうか。

労働人口が減少する中で、労働生産性は経営課題であり、「働き方」を変える施策が企画され実行されました。しかし、未だなお、変化の途上であるのはなぜなのでしょうか。働き方を規制しているのは企業側ではなく私達自身なのかもしれません。

もしかしたら、企業や組織が権限移譲を開放していないのではなく、私たち自身が私たちを縛っているのかもしれません。

現在の哲学の最先端はクァンタン・メイヤスーを代表者とする「思弁的唯物論」です。唯物論と呼ばれているように、この最先端哲学では、物が哲学の主人公となってきます。ギリシャ以来、哲学の主人公は人間だったのですが、その主人公の座から追い出し、テーブルやバナナや本が哲学の主人公となってきました。

従来は、物が人間に見られるために存在していたのですが、思弁的唯物論では、物が関与なくても存在するし、そして、物の価値は人間が決めるわけでもないという立場となります。いわば、人間中心主義が脱構築されたのであり、人間と物が等価に並ぶ世界観が出てきました。今までの哲学は、人間の「存在」を人間以外から突き詰めたり、人間の中から突き詰めたりしてきました。しかし、思弁的唯物論では森の中にいる人が木々を見たり、木を見ている自分を見たりするということを突き詰めているわけです。つまり、全体とか真理など、木の中にいる限り解明する事はできないという事です。人間と物(自然)が等価に並ぶ世界観は、非常に日本的な文明観と酷似しているとも言えます。

これまでのような人間の考えるパターンや法則、もしくは真理などというモノはそもそもなくて、そう見えるだけではないか、必然など存在せず偶然が続いているだけではないか、ともいう考えも思弁的唯物論から出てきます。実際、高業績者や人よりも優れた功績を遺した人物は、成功の方程式など存在せず、「偶然」や「運」、「たまたま」、「御縁」があったとよく言います。つまり、不確実や偶然性を許容し、むしろ引き受けていくという事が大切ではないでしょうか。

現在のビジネスでは、人間中心が重要とされています。しかし、それとは違う全く別の視点を提供してくれるのが哲学の良いところです。

大雑把ではありますが、上記は17世紀以降の近代哲学の流れであり、これを頭に入れておくことはビジネスだけではなく、様々なニュースに接する時にも考えるヒントを与えてくれるでしょう。また、紹介していない多種多様な視点はまだまだあり、これらは非常に重要な視座を私たちに与えてくれるでしょう。

美学/音楽

現代のビジネスの世界では、デザインシンキングやIDEOなどを中心としたデザインファームなど、「デザイン」の有用性が高まっており注目されています。デザインには、設計という意味も含まれます。最近では、アート思考やアートシンキングなど、芸術や美術とビジネスの連携の可能性が叫ばれています。

美しいプロダクトデザインやハッとする広告宣伝、文学的なストーリーテリング・ナラティブなど、アートや美術が顧客に感動や共感を与えることができ、顧客のみならず自社の社員を惹きつけエンゲージメントを高めることも可能です。

美しさと聞くと、芸術作品や外見などを思い浮かぶべる人もいるかもしれません、しかし、芸術は外面的な特徴に留まるものではありません。他人を助ける行動や日本でいう「粋」という行為も美と言えます。さらには、数理的な幾何学的もの、シンメトリーという抽象的な世界、山々の連なる稜線にも美は存在します。また、人間の創りだす恐怖や醜悪なものにも美は存在します。もし、美が外見や意匠レベルの留まるものであれば、哲学の一要素として、リベラルアーツとしてこんなにも議論されることはないでしょう。

この美学の中でも注目すべきなのは崇高概念です。一般的に「崇高」と言えば神聖なもの、宗教的なモノを考えられがちです。しかし、美学で言う「崇高」はそれらとは全く違い、私たちを驚かせるもの、ハッとさせるもの、立ち止まらせるものです。中には恐怖を惹き起こす場合もあります。大きな雷が庭の木に落ち、その木が倒れるといったような瞬間が、美学で言う「崇高」と言えるでしょう。

そのような雷の瞬間は、恐怖であると同時に、強烈な感情も生じているはずです。その強烈な喜びや驚きの感情は、一般的に受け入れられている美とは全く違う概念であり、この崇高こそ、より心の憶測に衝撃を与え、快美よりもはるかに強力です。これは、自然や生物、人間を含めた抗うことができない概念で、理屈ではない根源的な欲求・感動によって人々を突き動かす要素となります。

崇高概念を秘めている物事はあちこちに存在しており、ビジネスとしてのチャンスはあらゆる場所にあるとも言い換えられるでしょう。価値の源泉として崇高さを引き出すことで、ビジネスにおいてもイノベーティブな商品・サービスを創出することができるからです。

経営者学者ヘンリー・ミンツバーグは自身の著書「MBAが会社を滅ぼす」の中で、経営における3つの要素として、「サイエンス(分析)」「クラフト(経験)」「アート(直感)」と定義しています。アートとは、外部環境や組織の状況を、感性を使い直感的に認識し、人々がワクワクしたり、ギョッと驚いたりするような創造的なビジョンや発想を打ち出すこととしています。

現在は、サイエンス(分析)偏重がアート(直感)を求めているわけです。しかし、感性を磨く事も重要で、それと同時に、何を美として認識するかという崇高概念のような視点も重要になってきます。

インパクトある新商品は単にかわいいもの、美しいもの、おいしいものからは生まれません。また、そういったものはAIや機械が人間よりもはるかに上手に生産してくる時代になってきています。そんな時代の美を考えるとき、近代美学の「崇高」こそが、人間が立ち入れない分野であると私たちを誘っているようです。

歴史

リベラルアーツにおいては、歴史を学ぶことも重要です。より踏み込んで歴史を学ぶ上で重要なのが、歴史と地理それぞれの学問の領域を融合させて考えることであり、そこで注目されるのが地理的な条件から各国の過去から現在を紐解く「地政学」です。

日本では地理学科・国際政治学科はあるものの直接的な学部はなく、あまり馴染みのない地政学ですが、近年注目されるようになっています。

とくに近年では、ウクライナ紛争や米中対立などに端を発し経済安全保障がより重要視されるようになり、地政学に関する書籍が書店やオンライン上の書籍通販に並ぶようになりました。

ビジネスの世界を含めた、環境変化の可能性を予測する手段としては、シナリオプランニング・SF的な思考で未来を予想(創造)してバックキャスト(目標から逆算)する方法があります。しかし、未来を予測する方法として歴史と地政学ほど有用なものはありません。歴史は繰り返すという言葉があるように、現在の状況から反復しうる歴史的出来事をピックアップし、そこに地政学的な国の条件を加えることで、世界の国々と相対化させながら、よりリアルな国の未来を予測できるのです。

「超予測力」(フィリップ・E・テトロック 、ダン・ガードナー)の本では、2011年から2015年にかけて、アメリカ国家情報長官直属の組織が主催した「予測トーナメント」に参加し、圧倒的な成績を収めたチーム「Good Judgement Project」のメンバー達の共通した思考法が記載されています。

さらに、このメンバーは国際政治に関連する複雑な問題を予測しているにも関わらず、専門家である米国国家機関のプロの情報分析官をも上回ったと言われています。

彼らは高いIQを持っているわけではありません。積極的に歴史や過去の物事を探究し、確率論的な観点から物事を捉え、パターンや法則を捉えて、現在の新たな条件や事実を付け加えながら予測を微修正していったと言われています。

「Good Judgement Project」のメンバーたちは、歴史に数学を加えたと言ってもいいでしょう。歴史分析だけは、未来の予測に対して、それほど役に立たないとはよく言われます。しかし、このメンバーの特徴は、そこに確率論を加えた点にあり、この確率論を考慮に入れたとき、国際情勢の分析にせよ、商品価格予想にせよ、格段に精度が上がったのです。歴史学と地政学に加え、数学も考慮に入れることで、未来予測力が高まることの好例と言えるでしょう。

イノベーションを起こすには未来予測の精度は重要であり、ビジネスにおいて有用な武器となります。そのため、リベラルアーツで歴史・地政学を学ぶ意義があるのです。

文学/物語

リベラルアーツでは文学/物語を専門的に学べますが、とくにアリとキリギリスの物語が比喩として参考になるでしょう。この物語はモダンとポストモダンの違いを表しているとも言え、ある種の揶揄としても見て取れます。

ざっくりと内容を解説すると、アリは毎日コツコツと働き、サボらず怠けず働き続けたからこそキリギリスより幸福になれたという物語ですが、現代社会に当てはめてみるとまったく逆であることがわかります。

たとえば日本では、多くのサラリーマンが毎日真面目に出社し、努力してスキルを身に付け、ルール決めて社員が統率を取り、計画的に事業・プロジェクトを遂行していますが、経済の状況や企業の業績が良くなっているとは言えないでしょう。経営における旧来の合理性に固執し、テクノロジー時代に不向きな経営スタイルを取っている日本企業はモダンを表していると言えます。

対してシリコンバレーの急進的なIT企業などでは、多国籍な社員が集まり、ポストイットなどを使って自由にディスカッションし、ジョークや笑いを交えながら仕事を進めています。

経営における旧来の合理性から脱却し、これまでの常識・規範としていたやり方からシフトチェンジさせた経営スタイルを取っているのがシリコンバレーの企業であり、ポストモダン的だと言えるでしょう。

もちろん、シリコンバレーの企業がこの理由だけで業績が伸びているわけではありませんし、各社員が努力をしていることは間違いありません。では一体、日本企業とシリコンバレーの企業はどこで差が生まれているのでしょうか。ITという業界が追い風になっている側面もあるでしょうが、個々の社員のパフォーマンスや幸福度で見ても、日本企業の社員とは違いがあることは否定できません。

シリコンバレー企業には、こうしなければならないという縛りがなく、柔軟性が許されています。あくせく働くことが強制されず、自由に音楽を奏でてよい場合もあります。その際に、まじめに目の前だけを見ている時には、見えなかった価値や視点を提供できる可能性が高まります。

アリとキリギリスの話を書いたイソップは、近代人であったために、アリが成功するような結末にしていますが、現状はポストモダンに入りつつあります。目を血走らせて、必死で仕事に取り組んでいる社員よりも、はるかに少ない拘束時間で、楽しみながら、新しい価値を提示する社員の方が、数倍の報酬を得る社会になりつつあるのです。客観的にみてどちらの社員がより幸福かは明らかでないでしょうか。

日本企業全体がモダン的な経営スタイルから脱し、ポストモダン的な経営スタイル、つまり柔軟性を重視し、多様性を受け入れる経営スタイルにシフトするためには、客観的かつ多くの分析の視点を持つ必要があります。その意味において、豊かな文学・物語に触れて感性を磨くことにより、1つの物語(この場合は日本の常識など)に捉われることなく業務に向かうことが大切でしょう。その感性を磨くための学問として適しているのが、リベラルアーツなのです。

言語学/コミュニケーション

リベラルアーツでは言語学/コミュニケーションについても深く学べますが、とくにビジネスの世界で活用できるのが言語学の3つの分野である「意味論」「結合論」「語用論」です。

「意味論」とは、人間が話す言葉である自然言語において、それぞれの言葉の意味について研究する分野です。記号としての言葉についてやそれが表現していることとの関係、または明示的な意味を表す表示作用、暗示・文脈の意味を持つ含意作用を論じます。

「統語論」とは、文の構造がどのようになっているかを研究する分野です。単語などの小さな単位で成り立つ文ですが、その小さな単位間にある文法規則について、構造論的な根拠を持って明らかにすることを目的にしています。

「語用論」とは、特定の社会文化の中において、どのように言語を使用しているかに着目した分野です。ある地域・国などにおいて、話し手がどのように意思を伝え、聞き手はどのように意味を解釈し受け取るのか、そのやり取りを両者がどう意味付けしているのかを研究する学問なのです。

これらの学問的な知見は、ビジネス上のコミュニケーションで役立てることができ、とくに多様化している現代では、ビジネスパーソンとして強力な武器になるでしょう。

リベラルアーツを獲得するには感性を磨き、広げ、変えること

リベラルアーツは、自己の認識や解釈を客観的に見つめ直し、理屈だけでなく「感性」という人間の持つ根本的な能力を磨き・広げて取り入れていく学問です。旧来の認識や解釈では向き合うことが難しい現代のビジネスにおいて、感覚的な視点を取り入れることにより、新たな切り口や柔軟な姿勢で問題・課題と向き合えるメリットがあります。

感性を磨く、直感を磨く

リベラルアーツを学習する上で大切なポイントの1つ目は、物事の意味を理解しようとするのではなく、あるがままの様子を見る・聞く癖を付けること、つまり五感によって感じる直観でじっくり観察することです。

たとえば、鼻をつまんで炭酸飲料を飲むと、それがコーラなのか他の炭酸飲料なのか区別することは難しいものです。同じように、何らかの物事を受け取る際、置かれた状況による条件的制約を受けた上で理解しようとすると、バイアスや思い込みに捉われることがあります。

若い女性と老婆の両方に見えるだまし絵などが良い例で、「どちらにも見えるように描かれた絵」というのがその正体にも関わらず、頭で理解しようとするとどちらかに見えてしまう現象が起こります。ですが、直観によってじっくりと観察する=素読すれば、だまし絵そのものの持つあるがままの様子=「どちらにも見えるように描かれた絵」がわかり、バイアス・思い込みに捉われにくくなり、自由で柔軟な発想や解釈がしやすくなります。

言い換えれば、どちらにも見える絵であるはずなのに、若い女性に見えていたり、老婆に見えたりすること自体、見る人の偏り、つまりバイアスを表しています。リベラルアーツを学ぶ目標は、このどちらかの拘りから解き放たれ、どちらにも見えるという事を、軽やかに認識することです。

モダンが重く、ポストモダンが軽いという表現が哲学ではよくなされます。一般的に軽いという形容詞が、人に使われるとき軽薄という意味を持ちがちですが、ポストモダンにおいて軽さは、留保なしに褒め言葉であり、この軽さがあればこそ、定住状態から越境状態へと変化することができます。

現代の教育は、物事の理屈を含め丸暗記させることを中心に置いていますが、物事の解釈は人によって変化することが大前提です。たとえば、論語・万葉集などの書物も、書かれた内容の意味を含めて作品そのものを表しており、作品の外の社会的要素からは、自律しているべきです。それ故に読後の感想・解釈は人によって違うものです。バイアスや先入観を持たずに内容を理解するためには、はじめて読む際にいきなり理解しようとするのではなく、そのあるがままの様子を直観によって素読することから入ることが大切です。
直観で全体像をつかみつつ知っていることから内容を理解し、数珠繋ぎのように理解の範囲を広げることで、浅い解釈やただ暗記ではない深い理解の領域になるからです。この時、1回の読書で理解しようとするのではなく、何度も読み返すことで理解の範囲を広げることも大切になります。

芸術作品には、何度も触れることが大切です。一回のふれあいで、全てが手に入る体験は、芸術の受容者にはあまり起きません。日常的に芸術に触れておくことが不可欠であり、最初は何も思わなかった絵や物語に、触れる回数が多くなるにつれて理解が深まり、ある日突然、その作品から大きなインスピレーションを得ることがあります。

しかし、ある日突然のように見えて、それ以前の日常的に作品に触れていたことの蓄積が一定レベルに達して、そのインスピレーションをもたらしたと考えるべきです。芸術家や哲学者、科学者たちが独創的なアイデアを出すとき、散歩していいたり、入浴していたりと仕事とは直接関係ない時に、いきなりインスピレーションを得るのは、これを指しています。それまでの蓄積があればこそ、インスピレーションも可能であり、何も準備も蓄積もないところで、降りてくるインスピレーションがあるとすれば、それは宗教的なものになるでしょう。

絵を見る時も同じことが言え、「この絵は写実的だ」「モダンなテイストだ」「アバンギャルドだ」などと、人はパターン認識によってカテゴライズすることで、その絵を認識します。しかし感性を磨いて広げておくと、1つの絵を見る時のパターン認識の数・幅が広がるため、パターン認識の組み合わせによってオリジナリティのある感想が生まれやすくなります。このパターン認識のバリエーションの組み合わせこそが創造性の源泉であり、オリジナリティ・ユニークさにつながります。リベラルアーツを学習し、獲得するために必要な土台となる要素でもあるため、感性と直観を磨いておくことは重要になるでしょう。

思考と視点を拡げる

リベラルアーツを学習する上で大切なポイント2つ目が、現状の思考を変えていくことです。社会や時代を俯瞰で見た時、人は無意識の内にその時見聞きする言葉や物体、出来事が持つ思考体系(知識の枠組み)に従っているものです。この時のメタ的な思考体系をフランスの哲学ミシェル・フーコーは自身の著書「言葉と物」の中で「エピステーメー」と提言しています。思考を変えるには、この「エピステーメー」に無意識に従ってしまっているという状態を知ることが第一歩であり、現状における自身の思考の理解につながります。

これは言い換えると、ある時代・社会において、必ず何らかの「エピステーメー」が人々の思考を支配していることを表しています。わかりやすいのが図鑑です。図鑑は動物・植物・歴史など分類がされており、さらに各テーマの中でも詳細に分類されていますが、その分類の方法によって社会・時代の「エピステーメー」が見えてきます。16世紀頃の図鑑は分類がされておらず、たとえば爬虫類図鑑であれば関連情報を全て盛り込んだようなものになっていました。これが17世紀・18世紀と進むごとに外見・中身などで分類されるようになり、爬虫類でも細かく分けられるようになりました。つまりは人々の爬虫類に関する常識=思考体系がアップデートされた経緯があります。このように、図鑑1つを取っても、分類の流れによって社会・時代の人々の思考体系を支配する「エピステーメー」が見えてきます。

自分自身の思考を支配している「エピステーメー」を知るには、文章や絵によるアウトプットが有効です。方法はどちらでも良いですが、モヤモヤしている思考を具体的な言語に変換することや、絵によって視覚化することで、自分で自分の思考を観察することができるのがポイントです。これは、自身について内省・振り返りを行う「リフレクション」と呼ばれる状態であり、自分への理解を深めることにも有効です。またこの時、文章や絵にしてアウトプットしたものを他者と共有し、フィードバックを貰うことも有効です。そうすることによって、より自分に捕らわれていた「エピステーメー」を客観視できるでしょう。

前述したフッサールの現象学では、リンゴが目の前にあったとして、リンゴを見ているのは自分の認識を思考対象にすることで、メタ的に客観的なリンゴを認識しようとしました。エピステーメーによる思考の支配を知るためにも同じことが言え、自分の認識を自分で見るというメタ視点が重要であり、認識している自分を認識するという二重のプロセスを経ることが、思考を変えるためには必要です。

感性を広げるとイノベーションにつながる

感性を磨いて広げることにより、パターン認識の数や情報量が増え、その組み合わせによってオリジナリティのある商品・サービスが生み出しやすくなります。

上記における注意点として、イノベーションに繋がるほどのオリジナリティとは、無から有を生み出すものではなく、何らかの過去の商品、あるいは情報やコンテンツなどの組み合わせを変化させることによって創られるものだと言うことです。たとえばApple社のスティーブ・ジョブズは、iPhoneのデザインやUIのシンプルさに拘っていましたが、これは仏教や日本に伝わる禅など東洋思想が背景にあったからです。物質と思想の融合であり、実態のない観念も含まれてはいますが、これもまた組み合わせによるオリジナリティの一種だと言えます。

通常、機器と仏教の間に、関係などあるはずがないという思い込みがありますが、この思い込みを捨て去ることができるかどうかが、イノベーションの鍵となります。ジョブズが、機器と仏教に組み合わせを見出したからこそ、新製品に開発に繋がったのです。

ビジネスにおいては、感性を広げることで引き出しが増え、思いもよらぬアイデアや切り口が出てくることが多々あります。感性を広げるにはまずインプットが重要で、小説・映画・絵画などを観察して感性を磨く、あるいは人と会う・読書などの行為によって思考を広げることが大事です。

しかし、それだけは不十分で、そのインプットにおいて、自分が何を得て、何を感じ、自分がどう心が動いたかをアウトプットすることが重要です。たとえば、文章にまとめても良いですし、イラストのような作品にして表現することも有効でしょう。感想や仕入れた知識を誰かに話してみるのも、感性を広げるためには効果的なアウトプットです。

こうした会話を、ビジネスと関係ない無駄話として切り捨ててきたのが日本企業です。無駄がなく、余裕もなく、笑顔もジョークもない職場から、新しいアイデアなど産まれるはずがありません。仕事にとって有益な雰囲気や会話とは何かについて、従来のモダンな考え方では通用しない時代は既に来ているのです。

まとめ

リベラルアーツは、「人文科学」「自然科学」「社会科学」「哲学」「倫理」「心理学」など、幅広い分野について学ぶことにより、それまでになかった組み合わせに気づき、その商品化への道筋を、つけやすくすることができます。

とくに、変化の激しい現代のビジネスの世界に有用であり、働き方を大きく変えていくとされる、AIをはじめとしたテクノロジーと人間が共存するためにも、学んでおきたい学問です。なぜなら、これからの時代のビジネスパーソンに求められているのは、自分で問題を設定すること・問いを立てること・アイデアを出すなど、創造性を発揮することであるためです。

機械的・事務的な業務はAIによって自動化され、人が担当する業務の領域が創造性へ大きく舵を切ることは避けて通れません。考えようによっては、これは素晴らしい事であり、数世紀前には、社会エリート特権であった創造に、私達がみな携われるという事でもあります。これは、皆多かれ少なかれ芸術家になるという事であり、日々の作業をより刺激的でわくわくさせていく事でもあります。リベラルアーツには、職場の業績だけではなく、雰囲気や勤務態度さえ変えてしまうほどのポテンシャルがあります。自己の成長と企業の未来を考えるためにも、小さな一歩でも良いので、リベラルアーツの考え方を取り入れてみてはいかがでしょうか。

株式会社ソフィア

先生

ソフィアさん

人と組織にかかわる「問題」「要因」「課題」「解決策」「バズワード」「経営テーマ」など多岐にわたる「事象」をインターナルコミュニケーションの視点から解釈し伝えてます。

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