なぜ、今ビジネスにアートが必要なのか?「アート」と「崇高」がビジネスを変える

現代のビジネスにおいて注目されているのは、アートを取り入れる考え方です。ビジネスにおけるイノベーションや創造性は、価値の源泉となり、多くの商品がコモディティ化する中での新しいアイディアや視点は、従来の枠組みを超えた発想を刺激します。

とくに、マーケティングや広告宣伝において、アートは顧客の感性や体験に訴える手段として活用されています。ワクワクさせるデザインやストーリーテリングを通じて、顧客の感性に訴えることで共感を得られ、購買意欲やロイヤリティの向上が期待できるのです。また、アートは対外的な活動だけでなく、インターナルブランディングやインターナルコミュニケーションにおいても、社員のやる気やエンゲージメントを高める役割を果たしています。

従来では、ビジネスの中でアートは、特定のクリエイティブ部門や部署が取り組む高尚なものと見なされがちで、アートのビジネスへの全面的な活用はなかなか難しいものでした。しかし、映像、動画、言葉、物語といった様々なアートが私たちの心を引きつけることは、誰もが認めるところでしょう。

それでは、このアートが持つ普遍的な「美」とは何なのでしょうか。アートと美の関係を深く探ることで、さらなるビジネスの場面でアートの活用が進むでしょう。

この記事では、アートとビジネスの関係、美学、美の意味、さらに「崇高」という概念についても触れて解説します。

アートとは何か?アートと美の関係

アートとは、日本語で「芸術」や「美術」という意味に直訳されることから、多くの人がこのように捉えていまが、「技巧」や「名人芸」という意味合いも含まれています。また、アートに近い概念として、多くの哲学者が探求してきた「美学」や「美」という概念も存在します。ここでは、これらの関係や定義について説明していきます。

アート(芸術)は、人間の創造的な表現や感情の表現を指す広い概念です。絵画、音楽、文学、彫刻、舞台芸術、映画など多岐にわたる芸術の形式が存在し、美的価値や表現、感情伝達など多面的に研究されています。科学の領域が記号や論理といった理性的な面を伝える手段としているのに対し、芸術は情動や感情を伝達する手段と言えるでしょう。

芸術と密接に関連する概念が「美学」です。美学(Aesthetics)は、美や美的経験に焦点を当てる哲学の一部門として位置づけられ、美の考察、美的評価、美的経験の本質についての研究を行います。

言い換えれば、芸術は美を表現する手段や技巧的な側面を持つコミュニケーションの方法であり、美学は、何が美として認識され、何に対して感情が動かされるのかという情動や感情そのものを研究します。芸術としての技巧や手段があっても、美の認識ができなければ、その美を伝えることはできません。

最近では、芸術的な表現はAI技術によっても実現されています。言語生成AIが文章や物語を創出し、画像生成AIがデジタルイメージや動画を制作するのです。人間の感性はまだ完全には解明されていないものの、かつては特定の才能を持つ人々だけの特権であった芸術的なコミュニケーション手段が今では多くの人々に開かれています。

このような背景から、アートの領域は技巧から、美の本質や私たちの感性にどのように認識され、どのような美に感情が動かされるのかという方向へと進化しているのかもしれません。

アートは、ビジネスなぜ必要なのか?

カナダのマギル大学の経営者学者ヘンリー・ミンツバーグは、「MBAが会社を滅ぼす」において、経営には「サイエンス(分析)」「クラフト(経験)」「アート(直感)」の3つの要素があると定義しています。アートとは、感性を使い直感的に外部環境や組織の状況を認識し、人々をワクワクさせたりギョッと驚かせる創造的なビジョンや発想を生み出すことです。ミンツバーグの経営におけるアートには、練り上げられた技巧や熟練から生まれる美的な要素も含まれています。

では、なぜ現在「アート」「直感、感性」といった以前は必要とされていなかった要素がビジネスに必要とされるのでしょうか?

一物一価の汎用品時代から、一回性を運命づけられた一瞬のアートへ

現代は、テクノロジーの進展により商品やサービスの生産が簡単になり、新製品はすぐに一般的なものとなる時代です。この変化の背後には、デジタル技術の能力があり、ビジネスモデルや商品のライフサイクルを高速で安定的に再現・拡張します。しかし、その時、その場所、一回限り、拡張しないサービスという視点をアートは与えてくれます。体験のような「形のないもの」に希少価値がつくという事です。つまり、「モノが売れなくなった」時代という言葉が叫ばれてから、数十年経ち、原因として諸説ありますが、「モノを買わなくなった」とも言えます。

これは、ビジネスにおいて、チャンスが無くなったことにように思われるかもしれません。しかし、モノではなく、体験を売る視点に立てば、無限の可能性が広がります。誰もが生産できる平板な製品でなく、その時、その場にいないと味わえない体験を商品にしていくという考え方です。

これまでは、目に見えるものの方が目に見えない体験よりも、尊ばれる傾向がありました。確かにモノは永続的で、時間の経過に耐えうるのに対し、一回限りの体験は後に何も残らないと考えられてきました。永続的で普遍的なモノの方が価値があると思われてきたわけです。

しかし、汎用製品が一通り行き渡った社会で、製品の小さな進歩を拡大して広告しても限界があるでしょう。たとえば、冷蔵庫ならばどれほど改善したとしても、冷却するという機能は普遍であり改善には限界があるはずです。

これに対して何かに感動する、心を惹かれるという体験は、汎用製品が手に入るようになった社会には、ますます求められる商品になり得るでしょう。目に見える製品を手に入れて、喜ぶ時代は終わりました。「いかに感動するか」「いかに豊かに生きるか」こそがこれから社会のテーマであり、企業もいち早くその体験重視の方向に舵を切っておくべきです。

その感動やワクワク感の源にくるものこそがアートです。これからの企業がアートを取り入れざるを得ない理由もここにあります。

このような状況において、アートは感性や感情を重視し、再現や拡張が難しいという希少価値を持っています。近年、「モノが売れなくなった」と言われる中、UberやAirbnbのようなサービスが注目される理由は、新しいカスタマーエクスペリエンスを提供することにあります。伝統的なサービスでは得られなかった体験を提供することで、ビジネスモデル自体が顧客の感情や体験に焦点を当て、それをサポートするサービスが従属的な関係となり、組織全体の考え方も変わりつつあります。

これまでの企業活動でアートや芸術は、せいぜい文化部に割り当てられ重視されることもありませんでしたが、時代は変わりました。これからはアートが中心部署となり、そこからアイディアやデザインを引き受けて各部署が商品開発をするという組織に変わっていくでしょう。

自分の好きなもの=「推し」を追及すると誰でもクリエイターになれる

アートは、「美」や「感性」を表現する手段や技巧的な内容を持つコミュニケーションの体系です。既に、言語生成AIは文章や物語を創造し、画像生成系AIはデジタル画像や動画の表現を生み出しています。しかし、人間の感性が完全に解明されていない現状では、AIには超えられない領域がまだまだ存在します。AIの技術や知識はツールに過ぎず、未だ芸術的な表現には人間の感性や創造力が中心です。

かつては特権的な技術を持つ人々のみが行っていたアートというコミュニケーション技術も、現代ではデジタル化が標準となり、多くの人が取り組めるようになりました。これにより多くの人々がアートを通じて表現し、芸術家として活動できる時代となったのです。これは、芸術がより広範囲の人々にアクセス可能になったことを示しています。

芸術というより芸能という部類になるかもしれませんが、YouTuberとして一般の人が、どんどんクリエイターになっているのが分かりやすい例です。

さらに、AIの進化により芸術の可能性が拡大し、AIは人間の創造力を補完するツールとして新しい芸術表現の形成に寄与しています。結果的に、芸術は社会や文化の発展に影響を与える重要な要素となっています。

現代の技術進歩により、芸術は広範な人々の日常に組み込まれ、自己表現やコミュニケーションの手段として利用されています。

言い換えれば、芸術という技巧は標準化されつつある中で、伝える内容や伝えることが重要になるということです。つまり、自分がどう感じ、自分の感性を突き動かすものの価値が、むしろ相対的に重要になったとも言えます。

自分が表現したいもの、感じていることとは何でしょうか。つまり美学における美とは何かという問いが出てきます。

「美」とは何か?美しいモノだけではない崇高概念について

美と聞くと、芸術作品や外見など、思い浮かぶ人がいるかもしれません。しかし、美は芸術や外見の範疇にとどまるものではありません。他人を助けるような行為や動的な振る舞い、日本の「粋」もまた美です。さらには、数理的な幾何学的なもの、抽象的な世界であるシンメトリーという概念にも美が存在しています。私たちは日々、さまざまな場面で感性を刺激される美によって行動が規定されています。もし美が外見やデザインのレベルにとどまるものであれば、哲学においては中世から現在に至る数百年間、議論や疑問の対象になっていなかったでしょう。

そして、「美」「美学」において、「崇高概念」という考え方があります。これは、私たちが一般的に、美と認識する内容とは全く別の意味を持ちます。

エドマンド・バーク(Edmund Burke)は18世紀の哲学者・政治家で、彼の著書『崇高と美の観念の起原についての哲学的探究』(1757年)では、美学の分野で非常に影響力があります。近代美学は、この書から始まったと言っていいでしょう。この著書の中で、バークは「崇高」と「美」の二つの異なる美的経験を詳細に探求しています。

バークによれば、「崇高」とは、感情や情熱を強く引き起こす美的体験であり、崇高は驚異、敬意、恐怖などの強烈な感情を引き起こし、それが観察者に強い印象を与えることが特徴です。例として、巨大な山々や荒れ狂う海、大雷雨など、自然の壮大さや力強さを前にしたときの驚嘆や畏怖の感情が「崇高」としての経験に当たります。

平たく言えば、美の中に、崇高という恐怖や驚異というものがあると言っているのです。

出典|カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「雲海の上の旅人」

崇高概念を説明する代表的な絵画

私たちの中にある恐怖や驚異、醜いものに惹きつけられる崇高という概念

美は一般的に「美しいもの」として認識され、通常、美は「醜い」ものや「恐ろしい」ものとは対極にあるものです。このような認識は、とくに美学を専門に研究していない人々の間では一般的です。事実、多くの人は「美」と「醜」を対義語として理解しています。そのため、同時に美しさと醜さを感じるようなアンビバレントな感情は珍しいと言えるでしょう。

しかし、それならば、なぜ多くの人がホラー映画を楽しむのでしょうか。また、猟奇的事件の犯人の背景や、その事件へとつながる詳細な経緯に興味を持つのはなぜでしょうか。文学の世界でも、ドストエフスキーの「罪と罰」のように、人間の深い葛藤を描く作品が読者の情熱を引き寄せます。

フランツ・カフカの「変身」は、一見するとSF小説のように思えますが、主人公が突如として「虫」に変わることを通じて、社会の冷酷さや人間関係の複雑さを浮き彫りにし、主人公は死んでしまいます。そして死に追いやった原因である家族は、主人公が死んだことによってハッピーエンドになるという作品です。これらの作品の中には、必ずしも「美しい」とは言えない要素が多く含まれています。

また、伝統的な日本の落語にも「黄金餅」という話があります。この話は一見するとユーモラスで楽しいもののように思えますが、実際には主人公が金に目がくらみ、猟奇的な行為をするさまを描写し、手にした金でお店を開いて繁盛するという倫理的に違和感のある話です。

しかし、その人間描写は、まさに人間そのものです。ピカソの「泣く女」、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」といった名画にも、過去から現代にかけて私たちを魅了する人間の醜くグロテスクな要素が見受けられます。

出典|フランシスコ・デ・ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」

芸術家・岡本太郎は「自分自身の中に毒を持つ」と語っていました。このような「崇高」という概念を取り入れることで、美学や美はさらに魅力的で奥深いものとして捉えることができます。そして、AIが到達しえない領域もこの崇高な美の分野だと言えるでしょう。

単に美しいモノならAIでも創れるかもしれません。ぞっとさせる何かが存在することで再び見てしまいたくなる崇高美というものは、AIにはなかなか創造できないでしょう。AIの時代に人間に残された創造性の分野は崇高美であるということです。

崇高美は、人間が創った社会通念や常識、法律、ルールなどを超えて私たちが根本的に突き動かされる情動や躍動があり、大自然が起こす天災に見舞われることや、人間が行う醜くグロテスクな本性が存在するという前提を私達に突き付けているということでもあるのではないでしょうか。

「惹きつけてやまない」の根源は生と死にあり エロス(生の欲望)とタナトス(死の欲望)

フロイトの精神分析における晩年の研究は、第一次世界大戦から帰還した兵士たちの心の傷跡を中心に展開されました。これらの兵士たちは、過酷な戦争の体験を持ち帰り、そのトラウマは心的外傷後ストレス障害(PTSD)として顕れることが多くありました。彼らが何度も恐ろしい記憶に取り憑かれる理由、そしてその記憶が無意識からなぜ再び浮かび上がるのかについて、フロイトは独自の仮説を提唱しました。それが「エロス」と「タナトス」の概念です。

エロスは生命の維持や発展を目指す力として理解され、これには性的欲望や人間関係の絆、創造的な活動など、生命を肯定し繁栄させる全ての欲求や動機が含まれます。フロイトはエロスを自己保存や種の保存の欲求として捉え、これが個人の心の健康や行動における中心的な要因であると考えました。

対照的にタナトスは死への欲求や破壊的な力を示し、人々の自己破壊的な傾向や他者への攻撃的な欲求の原因とされます。フロイトは生命が始まると同時に、その終焉へと向かう力が働くと提唱し、この力をタナトスと名付けました。この力は個人や社会にとって危険であるため、文化や社会はそれを抑制や調整するメカニズムを持っていると彼は主張しました。

フロイトによれば、私たちの心の奥底には、生と死への執着が根付いており、これらの欲望が私たちの行動や感情の根源となっているとされます。

美学や美における魅力は、エロスとタナトス、すなわち生の美しさや死の恐怖、グロテスクなものへの畏敬の念など、この二つの原理に起因すると言えます。日本語の「業」や「人間の性」という言葉が指し示すように、私たちの心の奥底には社会の常識や通念を超えた、計り知れない力や欲望が潜んでいるのかもしれません。

崇高概念がドキドキワクワクするには、距離が必要

美は通常、「美しいもの」として認識され、多くの人は「美」と「醜」を相対的な概念として理解しています。美しさと醜さを同時に感じるようなアンビバレントで、納得感がない部分もあると思います。エドマンド・バークは『崇高と美の観念の起原についての哲学的探究』の中で、恐怖や畏怖という崇高という経験を、体感的に感じるためには、ある程度「距離」を置き、ある程度の「変形」を加えられることで、私たちは、ワクワクドキドキ(喜悦)すると言っています。

距離とは、自分の関係することではないことや、安全な場所から確認できるということです。そして、変形とは、映像技術や写実技術などのアート(芸術)のコミュニケーション技術にあたります。つまり、恐怖や畏怖がすぐ近くで自分にも影響ある事であれば、崇高を感じているどころではないということです。
アート(芸術)作品における崇高概念は、アート(芸術)によって距離を担保され、私たち人間が、根本的に持っているものを、生と死の感覚を呼び起こしているということです。

これからのビジネスに必要なアートは一般美と崇高の調合

社会通念や社会常識の延長線上では、汎用製品という価値しか創造できないかもしれません。また、顧客やマーケティング戦略におけるコンセプトも、一般美だけでは納得や理解という感情が生まれても、ワクワクやドキドキという感情は生まれないでしょう。私たちに刺さるアートや制作物には、一般美だけではなく、崇高という恐怖や毒が多少なり含まれなければ、共感や情動は動かないはずです。

一般美は、快さに依存します。美しい風景、形の良い男性や女性、愛らしい子供たちなどは、私たちの中に快さを生じさせ、私たちは、そのような美を身近に置きたいと思うものです。

一方、崇高美は、一般美とは異なり快さとは無関係です。むしろ、不快であったり、目をそむけたくなるようなものがテーマであったりします。この崇高美を、一般美の中にある程度混ぜることによって、単に快いだけの一般美が持ちえなかった爆発力や力学が生まれてきます。

人間の中には、どれほど美しいモノでも、時間が立てば飽きるという仕組みが埋め込まれています。快い一般美の限界もここにあります。何回も見ていれば、美と認識できなくなってしまうのです。美学では、これは「自動化」と呼び、自動化が発生すると、どれほど一般的に美しいモノでも、美と認識できなくなると捉えています。

一方、崇高美は毒を混ぜることによって一般美が陥る自動化を防ぎ、私たちの日常を「異化」しようとします。20世紀(1917年)のロシア革命のさなかに誕生したアバンギャルド芸術において、この異化作用が重視されたことは当然でしょう。代表的な絵画はサルバドール・ダリの作品で時計がグニャグニャになっている「記憶の固執」や、ルネ・マグリットの「個人的価値観」などが有名です。この異化作用とは、何回も見たり聞いたりすることによって慣れてしまい、たとえ美しくても何も感じくなった状態に敢えて醜さや不快を加えることにより鑑賞者の注意が自動化されず、新しい観点で絵や音楽に向かうことをそう呼びます。

出典|エドヴァルド・ムンク「叫び」

ビジネスという観点に立てば、自動化は効率化を生み出し、いい意味で受け取ることもできます。しかし、言い換えればそれはパターン認識であり、発見も探索もない状態です。

異化するということは、パターン認識を壊し、積極的に意味づけをしていることになります。寡占化した市場や硬直化した組織に対して、新しい価値を見つけ出すということは、パターン認識や視点を変え、積極的に意味づけするというアートの異化が非常に重要なのです。

「ドキドキ」「ワクワク」するクリエイティブを制作するには、ちょっと毒を入れる

クリエイティブは、新しいものや驚きを生み出す力を持っていますが、その力を最大限に引き出すためには、少しの毒を入れることが重要です。

しかし、毒はリスクを伴います。新しいアイデアや斬新なデザインは、受け入れられるかどうか分かりません。しかし、リスクを冒すことなく安全な領域で作品を制作するだけでは、本当のクリエイティブは生まれません。毒を入れることで人々を驚かせ、刺激し、感動させる作品が生まれます。

インターナルコミュニケーションにおける社内報やWEB社内報のコミュニケーションコンテンツは、「DX」「サスティナブル」「イノベーション」「人的資本」「健康経営」など企業が掲げる経営方針がコンテンツとして強く打ち出されることが多いでしょう。社内の取り組み事例や成功事例が社員の写真とテキストまたはインタビュー動画として、冊子や社内ポータルで社員に伝えられています。

社内広報実務担当者は、配信する記事を社員のどのくらい人たちが、クリックしたのかさらに閲覧しているのかをアンケートやログ解析で効果測定しています。改善を目的とした数値分析という側面もありつつも、自分や自分のチームが作成したコンテンツが見られているのか製作者としては個人的に気なるところでしょう。

しかし、ここ10年くらいのトレンドではありますが、「成功事例」「優秀事例紹介」というコンテンツの実際の閲覧数やPVは、該当事例などの関係者と周囲が閲覧しているだけで、その他社員には閲覧されない傾向があります。逆に「失敗体験」「成功事例の裏話」のコンテンツの方が社員が閲覧率は高いのです。

ある会社で「健康経営」に関する記事で、社員が自ら取り組んでいる食事、運動、休憩などを紹介するコンテンツ企画がありました。その中で、中堅社員が急性の大病を患って休職した自身のエピソードを載せたのです。記事に添えた画像は、非常に痛々しい病院服を着てベッドに横たわり、呼吸器をつけながら、まさに苦し紛れのピースをしている写真でした。このコンテンツは、トップメッセージよりも早く、ほぼ9割社員が閲覧しました。

インターナルコミュニケーションはとくに、同じ会社というコミュニティ内でのコミュニケーションであるため、一般美的なコンテンツであるキラキラした自社の社員の成功美談ばかりでは、むしろ購読者は冷めてしまいます。むしろ、失敗体験や紆余曲折のある生々しいコンテンツの方が購読されるのです。この「生々しさ」という毒を混ぜるという行為が、崇高を混ぜるということです。

私たちの職場での取り組みは、成功事例より失敗事例の方が圧倒的に多いはずです。人生をトータルで見ても同様でしょう。数少ない成功事例の陰に、圧倒的多数の失敗事例があるというのが私たちの人生です。そうであるのにもかかわらず、成功事例ばかりが載っているコンテンツは、私たちの人生を映し出さず、それを見たり読んだりすると本能的にその内容を、「嘘つき」であると判断し、感情移入できなくなってしまうのです。

私たち自身が失敗だらけであるのに、成功で満ちあふれた社内報で社員の共感が得られるでしょうか。毒を混ぜる崇高美の意味は、それにより私たちの人生そのものとコンテンツを近づける行為でもあります。

私たちが惹きつけられるコンテンツは、きれいで美しいモノばかりではなく、むしろ、人間の本質を映し出すコンテンツであることを教えてくれているのです。

「ドキドキ」「ワクワク」する新規事業や改革案に、恐怖を入れて提案する

「ドキドキ」「ワクワク」する新規事業や改革案に恐怖を入れて提案することは、一見すると矛盾しているように思えるかもしれません。しかし、実際にはこのようなアプローチが成功する場合もあります。

新規事業や改革案は、通常、未知の領域に踏み込むことを意味します。そのため、私たちは自然と「ドキドキ」「ワクワク」する気持ちを抱くのです。この気持ちは、新しい可能性や成果に期待を抱くことを意味します。しかし、同時に、未知のものに対する不安や恐怖も存在します。

恐怖を入れて提案するとは、この恐怖を意識し、それを乗り越えるための具体的な解決策や対策を提案することを指します。たとえば、新規事業のリスクや失敗の可能性について率直に認識し、それに対する対策や予防策を明確に提示することが当てはまります。これにより、提案者は冷静な視点を持ちつつも、同時に情熱や意欲を持って新規事業に取り組む姿勢を示すことができます。

イギリスの経済学者ケインズの師匠でもあるアルフレッドマーシャルは、「経済学者の必要な素質は、クールな頭脳と暖かなハートである」とケンブリッジ大学の学生にいつも教えていました。これは日本のビジネスマンにも当て嵌まるでしょう。

ドラマチックな職場には、崇高という毒がある

一般的に良い職場とは、エンゲージメントメントやESサーベイの指標や満足度が高い職場ということになるでしょう。しかし、ワクワクドキドキがある職場には、美しい人間関係だけではなく、同時に毒が潜んでいます。妬み、無視、闘争など同じ社員としては、働くことに嫌気がさすかもしれません。しかし、妬みや無視がなく、闘争もなく互いに尊重し、評価しあうような職場は、想像できるでしょうか。

職場でも学校でも、私たちを突き動かし、改善させていくのは笑顔の承認というより、むしろライバルとの闘争心ではないでしょうか。

ケインズは、資本主義の本質を人間が持つ「アニマルスピリッツ」の中に見ました。「アニマルスピリッツ」とは、分かりやすく言えば、未知なものに挑戦しよう、負けたくないという闘争心のことです。良い職場には闘争心が存在するものであり、この闘争心もまた崇高美と一種と呼んで差し支えないでしょう。

職場には、人間の声に出ない怒りや憤慨、恨みなどが瞬間瞬間で発生しています。経営と現場の不文律、本音と建て前のダブルスタンダード、論理と感情の相克など生々しい世界がそこにあるのです

リーダーはこの毒がある事を無視するより、毒を文学や芸術作品になぞるように物語にすることではできないでしょうか。

それが実現すると自社のグロテスクなモノから部下やメンバーとの距離を置くことができ、経営の不文律を笑いに変えることができます。さらには建前と本音のダブルスタンダードを物語に変えることができ、より強い職場に変えることができるでしょう。一声で言えば、社員一人ひとりがドラマを演じるということです。あくまで、ドラマなわけですから、埋没してはいけません。距離感が大事です。

この職場のドラマ化こそ、良き職場の尺度です。繰り返しますが、良き職場とは、全員がニコニコして調和をしている職場を指すことではありません。ニコニコ職場は同調圧力に負け、新しいアイディアも出ず、言ってしまえば有害なだけです。毒を伴った競争こそが職場に高い生産性をもたらすことを、確認しておきましょう。

無菌状態に生物を置けば、やがてはその生物は抵抗力を無くして、死滅していきます。争いも葛藤もない無菌状態は、死をもたらすだけです。活き活きとした生は、ある種の毒や不潔から手に入りうるのであり、崇高美を理解する重要性もここにあります。

アート(芸術)を習得する為には

アートとビジネスの関係についてここまで説明してきましたが、普段から何を意識し、実務にどのように転移すれば良いのでしょうか。 実際に美術館に行けば視点や解釈が変化するのでしょうか。具体的に説明していきます。

自分の好きなアートを徹底して追及する

アート(芸術)というコミュニケーション体系は、デジタル技術の革新によって大衆化されました。芸術という概念よりも芸能という言葉の方がしっくりくるかもしれません。現在は、大容量通信が可能になり、誰でも自分が面白いと思うことや自分の趣味を共有したり、それを推奨したりすることができる時代です。

芸術や芸能というコミュニケーション技術の重要性は高まっていますが、自分自身が何に魅了されているのか、また自分の感じたことが価値を見出す時代であると言えるでしょう。つまり、芸術と言えば絵画やクラシック音楽を思い浮かべるかもしれませんが、映画や漫画、大衆音楽のようなサブカルチャーも芸術であり、歌舞伎や落語、演劇、お笑いも芸能なのです。さらに言えば、ラーメンなどの食べ物、自動車などの工業製品も芸術と言えるでしょう。趣味に基づいて、自分が何に魅了されているのかという視点を持ち、観察したり創造したりすることが重要です。

アートでパターン認識を破壊する

ありのままを見る・聞く・感じるようにするということは、単純かつ一番感性が磨かれます。私たちは普段、日常のパターン認識に頼りながら生活していますが、その中では五感をほとんど使わず、ショートカットされた感覚で動いています。

しかし、五感を研ぎ澄ますことは感性を養うことでもあります。とくにデザインを生業としている人は、美術的なものに常に触れることで五感と直感を鋭くしています。彼らは歌や映画、ポエムなど、さまざまな表現方法を通じて、想起されるものや文脈を探求しています。

美や崇高という視点で物事を見ると、新たな視点が生まれます。感性が豊かになることで、人としての魅力も増すでしょう。感性豊かな人は、表情や言葉、音楽や絵などさまざまな形で感情や思いを表現することができます。彼らと一緒にいると、飽きることがありません。

さらに、五感を磨くことはコミュニケーション能力の向上にもつながります。観察力を鍛えるためには、周りの人をよく見る・聞く・感じることが重要です。人の表情や視線、声のトーンなどに注目し、細かな変化やニュアンスを捉えることができれば、より深いコミュニケーションが可能になるでしょう

感性を磨くことには多くのメリットがあります。自分自身の感性を養い、五感を研ぎ澄ませることで、世界をより豊かに感じることができます。また、他者とのコミュニケーションもより深まります。日常の中で五感を活かし、感性を磨く努力を続けましょう。

感性を磨く事の大きなメリットは、従来とは違った視点で、世界を見ることができる点にあります。私たちの日常生活はパターン化しており、目を開いていても見ておらず、耳も開いた状態でも聴いておらず、そのようなゆるんだ状態でも、日常生活に変化がなければ支障なく生きていくことができます。

しかし、見てもいず、聴いてもいない訳ですから、このような麻痺された五感からは、何も創造することはできません。大切なのは、パターンから離れたものの見方ができるようになることです。これが既にできているなら、アートはビジネスでは必要ないと言えるでしょう。しかしながら、大抵はパターンに陥ったまま会社生活を送るビジネスマンが大多数であるため、アートをビジネスに取り入れることは重要でしょう。

フランス哲学者デリダは、「余白」に注目しました。私たちが本を手に取るとき、当たり前ですが、紙に書かれているインクの文字に注目するはずです。「余白」の部分は文字を支える為の必要悪に過ぎない、本来なら無用なモノと考えられています。

ところがデリダは、この「余白」にこそ書物の本質が隠されていると論じました。確かに文学作品になればなるほど、読者は語られている言葉よりも、語られなかったイメージの方へ注意を向けていくはずです。いわば、良い文学とは読者の注意が「余白」に向かう文学と言えます。

同じことは絵画にも言えます。デリダは、絵画の額縁に注目しました。普通は絵画が美術館の主人公であり、額縁は単なる付属品と見られがちです。しかし、デリダはこの額縁が実は美術館で訪問者が鑑賞する際に大きな役割を担っていると主張しました。絵画はどんな額に入れていても良い訳ではなく、その絵画に最もふさわしいものでなくてはなりません。

ここから最近では、絵画そのものよりも絵画をどんな額縁に入れるのかや絵画をどんな順序で並べるかが重視されるようになってきました。この絵画を引き立てる部分を担当する人のことを「キュレーター」と呼び、今ではこのキュレーターの重要性が美術関係者の間で叫ばれています。

文学作品における余白や、絵画における額縁という通常のパターン化思考では完全に無視される部分に光を当てることがアート思考と言っていいでしょう。

感性を表出させるアウトプットを創ること

感性や感情を認識することはできても、これを伝えるというアートは、やはりアウトプットする必要があります。私たちは感性や感情を持っていますが、それを他人に伝えるためには、表現の手段が必要です。文章にすることも良いですが、やはりデジタル技術を使って映像や画像、漫画などにアウトプットすることが重要なのです。

デジタル技術の進化により、私たちは様々な表現方法を手に入れることができました。映像や画像は、言葉だけでは伝えきれない感性や感情を的確に表現することができます。たとえば、美しい風景や感動的な瞬間を写真や映像で捉えることで、その感性や感情を他人に伝えることができます。

また、漫画も感性や感情を表現する優れた手段です。絵と言葉が融合した漫画は、読者に直接的に感じさせることができます。キャラクターの表情や仕草、背景の描写など、細かなディテールが感性や感情をより鮮明に伝えることができます。

自分の作品を創ることも、感性や感情をアウトプットする方法の一つです。自分の内に秘めた感性や感情を具体的な形にすることで、他人と共有することができます。絵を描く、音楽を作る、詩を書くなど自分の得意な分野で表現することが大切です。

感性や感情を伝えるというアートは、私たちの内面を他人とつなげる重要な手段です。それを実現するためには、アウトプットをすることが必要です。デジタル技術を使って映像や画像、漫画などに表現することで、より多くの人に感性や感情を伝えることができます。自分の作品を創ること、感性や感情を具体化する有効な方法です。私たちは自分の内に秘めた感性や感情を大切にし、表現することで豊かな人間関係や創造的な世界を築いていけるのです。

とは言え、自分に詩は書けないし、絵も描けないし、漫画も無理だと、言う人も多いでしょう。まして作曲や演劇など無理だと思うかもしれません。

しかし、私たちは芸術家になるわけではありません ビジネスや日々の生活の中にアートを取り入れることによって、違う観点、新しい驚きを得ようを思っているだけです。ですから、アウトプットの上手下手に拘る必要は全くありません。

現代はSNSが発達し誰でも自己表現できる時代です。つまらないと思われるのではないか、下手だと評価されるのではないか心配をせずに、自分の写真や動画を気軽にアップできる時代です。そして、そのような投稿作品の中から何気ない日常を映してるだけにもかかわらず、そこから人気作品が生まれてくるケースもあります。

アートが美術館や展覧会に囲われた時代は既にに終わりました。アートは日常生活に入り込んできており、日常生活をアートに変えることも非常に簡単になっています。

ビジネスマンにとって、アートを学ぶ意義もここにあります。それは何も、斬新な新製品や驚きのサービスを思いつくため、アートからインスピレーションを得ようとする実用的な側面だけではありません。もちろんアートに触れて異質なモノを見られるようになり、それが新製品につながるとすれば、これ以上良いことはありません。

しかし、新製品開発に関係しないとしても日々の職場、家庭生活でパターン化された退屈を打ち破り、自動化された日常にふい打ちと発見をどんどん発生させることができれば、それは職場の活性化にもつながり、ビジネスマンの一人ひとりの人間的な魅力も高めてくれるでしょう。アートなき職場は退屈と評価され、アートなき社員は魅力に乏しく見られがちです。実はアートこそ日常生活の付属品のように見えて、日常生活の中心に来なければならないものなのでしょう。

株式会社ソフィア

先生

ソフィアさん

人と組織にかかわる「問題」「要因」「課題」「解決策」「バズワード」「経営テーマ」など多岐にわたる「事象」をインターナルコミュニケーションの視点から解釈し伝えてます。

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