メンタル不調の部下への対応とは?上司が知っておきたい接し方と注意点
最終更新日:2026.10.05
目次
職場でメンタル不調の部下が出たとき、上司はどう対応すればよいのでしょうか。「まずは話を聴いて共感する」「必要なら病院を勧める」。多くの職場では、こうした対応が当たり前になっています。
それでも、精神障害による労災の認定件数は増え続けています。
共感やケアは、もちろん大切です。ただ、それだけでは部下を「助けられる側」に置き続けてしまうことがあります。必要なのは、「治してあげる」関係から、「一緒に働く」関係へと視点を変えることです。
この記事では、診断がつく前の、はっきりしないメンタル不調を対象に、上司と部下の関係をどう組み立て直せばよいのかを考えていきます。
「寄り添う」だけでは、なぜ部下は動けなかったのか
ミスが続き、まわりとのやり取りがぎこちなくなり、だんだん休みがちになっていく。そんなメンバーから、ある日、上司のもとにこんなメッセージが届きました。
「最近色々とミスばかりを起こしてしまい、大変申し訳ありません。ミスが続く中で、やらかしてしまった自分。それでも動けないでいる自分がいまして・・小学生のような相談で・・」
この上司の対応は、会社の規定にもきちんと沿っていて、しかも気持ちに寄り添ったものでした。何が起きたのかを確認し、これからどうするかを伝え、本人の心の状態も受け止めたうえで、少し踏み込んだ指摘もしました。その指摘は、本人も「その通りです」と認めるほど的確でした。
それでも、彼は動けるようにはなりませんでした。
最終的には、医師の判断のもとで傷病手当の手続きをとり、いったん休職することになりました。
では、なぜこの対応では十分ではなかったのでしょうか。
ここで考えたいのは、上司の対応が間違っていたということではありません。むしろ、必要な配慮をし、本人の気持ちにも寄り添い、適切な指摘もしていました。
それでも動けなかったとすれば、問題は「何をしたか」だけではなく、そもそも上司と部下が「どういう関係で向き合っていたか」にあるのかもしれません。
「気づく → 聴く → 医療につなぐ」は、なぜ行き詰まるのか
日本の職場でのメンタルヘルス対応は、大きく三つの段階に整理できます。上司が部下の変化に気づく。話にじっくり耳を傾ける。必要なら産業医や専門機関につなぐ。この流れはすっかり広まり、法律や制度としても整えられてきました。
ところが、これだけ対応が広まっているのに、うつ病などの精神疾患で労災と認められる人は増え続けています。
まず、現在の職場ではどのような対応が「正しい」とされているのかを確認しておきましょう。
「四つのケア」が基本になっている
厚生労働省の指針は、職場のメンタルヘルス対策として四つのケアを挙げています。自分で自分を整える「セルフケア」、上司が部下を支える「ラインによるケア」、社内の産業保健スタッフによるケア、そして社外の専門機関によるケアです。
このうち管理職に求められる「ラインケア」では、部下の「いつもと様子が違う」というサインに気づき、話をさえぎらずに聴き、必要に応じて産業医や相談窓口へ橋渡しすることが期待されています。
休職した人についても、職場復帰を支えるための五つのステップを定めた手引きが用意されています。
問題は「仕組みがない」ことではない
ここで誤解のないようにしておきたいのは、現在のメンタルヘルス対策そのものを否定しているわけではない、ということです。
部下の変化に気づくこと、話を聴くこと、必要に応じて産業医や専門機関につなぐこと。こうした対応は、メンタル不調の早期発見や悪化の防止において、当然ながら重要です。また、企業が何をすべきかについても、法律や指針によって一定の仕組みが整えられています。
つまり、いまの職場には「何をすればよいのかわからない」という問題だけがあるわけではありません。むしろ、正しいとされる対応方法は、かなり明確になっています。
それでも、メンタル不調を抱える人が減っているとは言い切れません。
だとすれば、考えるべきなのは「もっと早く気づくにはどうすればいいか」「もっと上手に話を聴くにはどうすればいいか」といった、対応方法の改善だけではないのではないでしょうか。
もしかすると、問題は個々の対応の上手下手ではなく、その対応が行われる前提となっている上司と部下の関係そのものにあるのかもしれません。
対策が広がっても、労災認定は過去最多に
厚生労働省の「過労死等の労災補償状況」によると、精神疾患による労災の認定件数は、令和4年度の710件から令和6年度には1,055件へと増え、初めて1,000件を超えました。過去最多の更新は、これで6年連続です。
また、厚生労働省「令和5年労働安全衛生調査」によれば、仕事で強い不安や悩み、ストレスを感じている働き手は82.7%にのぼり、心の不調で1か月以上続けて休んだり退職したりした人がいる職場は、13.5%に達しています。
もちろん、これは「関係がある」というだけで、「対策のせいで増えた」という話ではありません。労災の認定基準が見直されたことや、ハラスメントが表に出やすくなったことなど、件数が増えた背景にはさまざまな要因があります。
それでも、ここで一つの問いを立てることはできます。
不調を早く見つけ、細かく拾い上げていくことだけでは、もう限界なのではないか。
網の目をさらに細かくするのとは別に、そもそも上司と部下がどういう関係で働くのかを見直す必要があるのではないでしょうか。
共感と「病院にお任せ」は、何を見落としているのか
「気づく → 聴く → 医療につなぐ」という対応は、部下を守るために必要なものです。けれども、この対応には一つの共通した構造があります。上司が「ケアする側」、部下が「ケアされる側」になることです。
この関係が続くと、部下は自分を「助けてもらう人」「対処してもらう人」として捉えやすくなります。さらに、診断前の曖昧な不調まで医療の問題として扱えば、「自分は病気なのだから、仕事ができなくても仕方がない」という捉え方につながる可能性もあります。
もちろん、共感も医療も必要です。問題は、それだけで不調を解決しようとしたときに、仕事の中で本人がどう立ち直り、どう働いていくのかという視点が抜け落ちてしまうことです。

組織や仕事の変革に「伴走者」が求められる理由 ~シリーズ「変革する人には伴走者が必要だ」①
いまビジネスの世界や教育や行政などににおいて注目されている「伴走」という概念。創業以来、顧客企業の課題解決や…
「ケアする側/される側」という関係が生まれる
上司はケアする側に立ち、不調のメンバーはケアされる側に置かれます。話を聴くのも、受診を勧めるのも、基本的にはこの配置の上で行われます。
要するに、上司と部下が正面から向かい合っているのです。この記事では、これを「向かい合う二人だけの関係」と呼ぶことにします。
この関係の問題は、上司が親身になればなるほど、部下が「してもらう側」に固定される可能性があることです。
冒頭のメッセージにあった「小学生のような相談で」という言葉を思い出してください。
これは、上司のケアが失敗した証拠ではありません。むしろ、上司に相談し、受け止めてもらう関係ができていたからこそ出てきた言葉とも考えられます。
ただ、その言葉には、自分を「相談する側」としてしか捉えられなくなっている苦しさもにじんでいます。
共感は大切です。しかし、それだけを続けると、相手を「してもらう側」に固定してしまうこともあるのです。
「病院に任せる」だけでは、仕事の問題は解決しない
病院につなぐことにも、別の死角があります。
診断がつく前の、はっきりしない不調を考えてみましょう。気分が落ち込む。人とのやり取りがぎこちなくなる。仕事に手がつかない。そうした状態で本人が失っているのは、体調だけとは限りません。
「自分はこの職場で何をすればいいのか」
「自分はここにいていいのか」
そんな、仕事や職場における自分の意味を見失っていることがあります。
しかし、「この職場で自分はどう働くのか」という問題まで、医療に任せることはできません。
医療には、病気を診断し、治療する役割があります。一方で、仕事の中で自分の役割を見つけ直したり、周囲との関係をつくり直したりすることは、職場と本人が向き合うべき問題です。
だからこそ、診断前のグレーゾーンでは、「病院につなぐ」だけではなく、その人がもう一度仕事の中で主体性を取り戻せる関係をどうつくるかが重要になります。
「不調」と「病気」を混同しない
ここで、もう一つ注意したいことがあります。
P・J・ジョーンズとR・J・マクナリーの行った心理学の研究では、自分のつらさを「症状」や「トラウマ」といった言葉で捉える人ほど、同じ出来事でも強い苦痛を感じることがあると報告されています。
心理学者のニック・ハスラムは、こうして「病気」や「被害」として捉えられる範囲が広がっていく現象を「概念の拡張(concept creep)」と呼びました。
これは、病気を見つけることが悪いという話ではありません。本当に治療が必要な病気を見逃さないことは当然重要です。
ただ、病名や症状という枠組みを広げすぎると、本来なら一時的な落ち込みや仕事上のつまずきとして扱えるものまで、「自分は病気なのではないか」と捉えてしまうことがあります。
「早く見つける」ことを重視するあまり、本人が自分の力で立て直していく余地まで奪ってしまわないか。ここには、メンタルヘルス対策を考えるうえでの難しさがあります。
なお、この記事が問い直しているのは、あくまで診断がつく前の、はっきりしない不調への向き合い方です。医師が診断した病気については、治療と仕事上の配慮が欠かせません。会社には従業員の安全に配慮する義務があり(労働契約法5条)、最高裁も電通事件の判決(平成12年)で、仕事によって心身の健康が損なわれないよう会社が注意を払う義務を認めています。
診断のついた部下に「医療より仕事を優先しろ」と迫るのは、法律の上でも医学の上でも間違いです。だからこそ、ここで考えたいのは、病気を治すことではありません。
まだ病気とは診断されていない不調を抱えた人と、上司はどのような関係をつくればいいのか。
その問いに答えるために、次は「向かい合う二人」ではない、もう一つの関係のつくり方を考えてみます。
上司と部下が「向かい合う関係」から抜け出すには
では、上司と部下が「向かい合う二人だけの関係」を、どう変えていけばいいのでしょうか。
ヒントになるのが、二人のあいだに「三つめのもの」を置くという考え方です。上司が部下を支える、部下が上司に支えられるという一対一の関係ではなく、二人が同じものを見ながら、一緒に考え、一緒に動く関係をつくるのです。
この考え方を理解するために、まずは哲学者マルティン・ブーバーの「我とそれ」「我と汝」という二つの関係から見ていきましょう。
「我とそれ」から「我と汝」へ
思想家のマルティン・ブーバーは、代表作『我と汝』の中で、人が誰かと関わるときの基本的なモードを二つに分けました。
一つは、相手を観察し、分析し、対処する「対象」として見る関わり方です。ブーバーはこれを「我とそれ」と呼びました。もう一つは、相手を、こちらの呼びかけに応えてくれる、かけがえのない存在として遇する関わり方です。こちらを「我と汝(なんじ)」と呼びます。
ここで大切なのは、ブーバーが「我とそれ」を悪いものとして否定したわけではないことです。人を観察し、分析することは、仕事をするうえで欠かせません。
問題は、それだけのモードで人と関わり続けることです。職場のケアに当てはめてみると、部下の変化に「気づく」のは観察です。相手の心理状態を推し量り、「あなたはこう感じているのではないか」とフィードバックすることも、精度の高い観察と言えます。
つまり、ていねいなケアの多くは、「我とそれ」の関わりを磨き上げたものでもあるのです。冒頭の上司の指摘が的確だったにもかかわらず、本人が動けなかったのは、指摘の精度が足りなかったからではありません。もしかすると、関わり方のモードそのものが、ずっと「それ」のままだったのではないでしょうか。
二人のあいだに「三つめのもの」を置く
では、どうすれば「我と汝」の関係に近づけるのでしょうか。ブーバーの考え方を手がかりにすると、一つの答えが見えてきます。
本当の関係は、相手の心の中にあるのでも、自分の心の中にあるのでもありません。二人の「あいだ」に生まれるものです。そして、その「あいだ」を生み出すのが、二人が一緒に見る「何か」です。
たとえば、あるメンバーが「自分は本当に逃げているんだな」と、自分の言葉でぽつりと語れたのは、面談室ではありませんでした。喫煙所でした。喫煙所では、二人は向かい合っていません。肩を並べて立ち、同じ方向を向いています。
視線が交わらないからこそ、そこでは本人が「観察される側」に置かれずに済んだのかもしれません。ほんの数分、二人のあいだに、たまたま「二人で一緒に見るもの」が生まれていたのです。
もちろん、喫煙所そのものに特別な意味があるわけではありません。重要なのは、二人の関係を「上司が部下を見る」という一対一の構図から、「二人が同じものを見る」という構図に変えることです。
では、その「一緒に見る何か」とは何でしょうか。それは、この仕事は何のためにあるのかという目的であり、チームがたどり着きたい状態であり、そもそもその人にこの役割を任せた理由です。
上司と部下が正面から向かい合うのではなく、二人のあいだに目的を置き、肩を並べて同じ方向を見る。この切り替えが、「三つめのもの」の核心です。
共通の目的が、上司と部下の関係を変える
この「三つめのもの」は、ケアされる側だけでなく、ケアする側の上司にとっても意味があります。
組織心理学者のアダム・グラントは、著書『GIVE & TAKE』の中で、人のために惜しみなく尽くす「与える人」について興味深い調査結果を紹介しています。
「与える人」は、成功している人の中にも多くいましたが、反対に、仕事でうまくいかず燃え尽きてしまった人の中にも多くいました。では、両者を分けたものは何だったのでしょうか。それは、どれだけ人に尽くしたかではありません。
「自分のしていることが、誰かの役に立っている」という実感を持てているかどうかでした。共感を注ぎ続けて疲れてしまう上司も、同じ状態に陥ることがあります。部下の話を聴き、心配し、支え続ける。それでも本人が良くならない。何をしても状況が変わらない。
これでは、上司自身が「自分は何のためにここまでやっているのだろう」と感じてしまいます。しかし、二人のあいだに共通の目的があれば、上司の支援の意味は変わります。
「部下を助けること」が目的なのではありません。「二人でこの仕事を前に進めること」が目的になる。
すると、上司は一方的に優しさを差し出す人ではなくなります。部下と一緒に、共通の目的に向かって取り組む人になります。これは、部下を「支えられる側」に固定しないだけでなく、上司自身を「支え続ける側」に固定しないためにも重要です。
責任を一人で背負わない
哲学者のエマニュエル・レヴィナスは、他者に対する責任を、自分から相手へ向かう一方通行のものとして捉えました。目の前にいる相手を放っておけない。その責任を、まず自分が引き受けるという考え方です。
この考え方は、人を支えるうえで大切な視点です。ただ、職場のマネジメントでは、上司が部下の問題をすべて背負う形にしてしまうと、別の問題が起こります。
「自分が何とかしてあげなければ」と上司が責任を引き受け続けると、上司は「支える側」、部下は「支えられる側」に固定されてしまいます。必要なのは、上司が一人で責任を背負うことではありません。
上司と部下のあいだに共通の目的を置き、その目的に向かって、それぞれができることを考えることです。「あなたを治してあげる」ではなく、「どうすれば一緒に仕事を進められるか」。
この違いは小さく見えて、関係を大きく変えます。上司だけが支えるのではなく、部下も自分の役割を持って仕事に関われるからです。
目指したいのは、「支える人」と「支えられる人」という関係ではありません。二人で同じ方向を見て、一緒に仕事を進める関係です。
正確なフィードバックが、なぜ人を動かさないのか
「目的を挟んだ関係」という見方が手に入ったところで、冒頭の事例に戻りましょう。
上司は、何が起きたのかを確認し、これからの対応を示し、本人の心理的な背景にまで踏み込んで指摘しました。その指摘は的を射ていました。それでも、本人は立ち直れませんでした。
なぜ、正確なフィードバックをしても、人は動けないのでしょうか。ここでは、フィードバックの「正しさ」だけでは人は動かない理由を考えます。鍵になるのは、相手をどう見ているか、そして二人のあいだに何を置いているかです。
正確な観察ほど、相手を「それ」にしてしまう
それは、観察というものが、正確であればあるほど、かえって相手を「それ」の位置に閉じ込めてしまうからです。
的確な心理分析とは、要するに、相手についての精密な観察レポートです。けれど、レポートを渡される側から見れば、自分はいつまでも「分析される対象」、つまり「それ」の位置に置かれ続けます。
「病気」「症状」といった医療の言葉を一切使わなかったとしても、相手を観察し、分析し、指摘するという行為そのものが、相手を対象として扱う構造を持っています。
フィードバックの研修では、「具体的に、客観的に、正確に」と教わります。もちろん、それらは大切です。しかし、正しいことを言えば、人が動くわけではありません。フィードバックが人を動かすには、正しさを突きつけるだけではなく、目的を真ん中に置いて、その人と向き合うことが必要なのです。
「人への借り」ではなく、「目的までの距離」を見る
冒頭のメッセージをもう一度読み返すと、もっと大事なことに気づきます。彼が謝っていた相手は、支えてくれた同僚であり、上司でした。つまり、生身の一人ひとりです。彼の心の中は、助けてくれた人たちへの「申し訳なさ」で埋め尽くされていました。
言い換えれば、「人に対する借り」でいっぱいだったのです。
ここに、二人だけの関係の袋小路があります。「人への借り」には、どこまで返せば終わりなのかという基準がありません。だから、いつまでたっても返し終わらない。返し終わらないから、動けない。
もし彼の前に、「この仕事が目指しているもの」という三つめの目的が立っていたら、話は変わっていたはずです。失敗は、「人への借り」ではなく、「目的までの距離」として捉え直せます。距離であれば、「次に何をすればいいのか」を決められます。
フィードバックの主語を「私たち」に変える
これを日々の仕事に置き換えると、「主語をどう選ぶか」という問題になります。
私が支援している現場でよく見かけるのは、「会社としては」「一般的には」を主語にしたフィードバックです。リスクを避けるための言い回しなのですが、ブーバーの目で見れば、「私」が消えた言葉からは、「あなた(汝)」も立ち上がってきません。
誰のものでもない声からの評価は、相手を「誰でもないもの=それ」にしてしまいます。
フィードバックの主語は、二つに絞るのがいいでしょう。
一つは、「私はこう見た」。
もう一つは、「私たちの目的から見ると、こうなる」。
この二つの主語があれば、一方的な観察を、目的を挟んだ対話へと変えていけます。
レッテルは、どのように人の可能性を奪うのか
主語を消したフィードバックが、最後にどこへ行き着くのか。もう一つの事例で見てみましょう。
私が見たある職場では、上司が1on1で部下の失敗を扱うとき、心理面に触れるのはリスクだと感じていました。そこで、何が起きたのかの確認と、その行為のどこが問題なのかだけを、「会社としては」「一般的には」という主語で指摘し続けました。
慎重で、相手を責めることもない。一見すると、安全な対応です。ところが、行き着いた先はまったく違いました。
空いた「あいだ」に、噂とレッテルが入り込む
上司が空けたままにした二人の「あいだ」を埋めたのは、周囲の噂話でした。「何が起きたか」「どこが問題か」という情報だけが一人歩きし、まわりの人たちは足りない背景を勝手な想像で補っていきました。
そして、その人に「あの人はこういう人間だ」というレッテルを貼り、それで片づけてしまったのです。ここで注目したいのは、レッテルが果たした役割です。
一人を「下」に位置づけることで、残りのメンバーの結束は、むしろ強まりました。レッテルは、まわりの結束を保つために、貼られた一人の可能性を食いつぶすのです。
レッテルは、人を過去の失敗に固定する
いったんレッテルが貼られてしまうと、本人がどれだけ変わろうとしても、まわりの見る目がその変化を受け入れません。一度「問題のある人」と見なされると、その後の行動も、そのレッテルに合わせて解釈されてしまいます。関係が固まってしまえば、上司の力だけで元に戻すのは難しくなります。
結局、その人は退職という形で職場を去るしかありませんでした。
この事例で起きていたのは、単なる人間関係の悪化ではありません。その人が別の人になれる可能性そのものが、周囲から奪われていたのです。
「心理に踏み込むか」ではなく、「あいだに何を置くか」
この事例が教えてくれるのは、「あいだ」を空っぽのままにしておくことは、決して中立ではないということです。
上司が目的も、自分の見方も置かずに空けておいた空白は、必ず別の何かに埋められます。そして多くの場合、そこに入り込むのは噂とレッテルです。だから、「心理に踏み込むか、踏み込まないか」という二択で考える必要はありません。
本当に問われているのは、二人のあいだに何を置くかです。「会社としては」「一般的には」という誰のものでもない言葉で空白を残すのではなく、上司自身の見方を示し、二人が共有できる目的を置く。
そうすれば、相手を「こういう人間だ」と決めつけるのではなく、「これからどうするか」を一緒に考えられます。問題は、心理に踏み込むかどうかではありません。
二人のあいだを、何で満たすのか。その組み立て方こそが問われているのです。
「目的のある関係」をつくる、三つの段取り
では、目的を挟んだ関係は、どうやってつくればいいのでしょうか。
ここで大事なのは、これが「心構え」の話ではなく、日々の仕事の中で実践できる「具体的な段取り」だということです。
1on1で「調子」ではなく「仕事の意味」を話す
一つめは、1on1で話す中身を変えることです。
「最近、調子はどう?」という問いかけは、たとえ善意から出たものでも、相手を「観察される対象」の位置に置いてしまいます。代わりに話したいのは、「この仕事は何のためにあるのか」「この役割を、なぜあなたに任せたのか」ということです。
冒頭の事例なら、「大丈夫か?」と聞くのではなく、「あの案件をあなたに任せた理由を、もう一度きちんと話させてほしい」と切り出す。前者は相手を見つめる言葉ですが、後者は、目的を二人で一緒に見つめる言葉です。
仕事の意味を、自分の言葉で語り直す
二つめは、仕事の意味をとらえ直す時間を、あらかじめ仕組みの中に組み込むことです。
たとえば、チーム会議のはじめの5分間で、「この仕事は、誰の、何を変えるのか」を、一人ずつ語ってみる。それだけでも、「三つめの目的」を日々の仕事の中に置くきっかけになります。
一度のチャンスで終わらせない
三つめは、チャンスを一回で終わらせないことです。
人は、たった一回の1on1では変わりません。当たり前のようでいて、現場の仕組みはむしろ逆に作られています。面談も、受診の勧めも、復帰の判定も、「一回きりのイベント」として扱われがちです。
けれど、関係を組み替えるというのは、相手が変わる可能性を信じて、チャンスを何度も差し出し続けることです。失敗したメンバーに、もう一度挑戦できる役割をあえて任せる。
レッテルが固まってしまう前に、上司自身の見方を周囲に示しておく。
「私はこう見ている」「私たちの目的から見れば、彼のこの挑戦にはこういう意味がある」と、二人のあいだ、そして周囲とのあいだに、まず自分から置いておくのです。
この繰り返しが、レッテルから一人の可能性を守ります。
理念を「額縁」から下ろす企業もある
実際に、企業の中でも「目的」を日々の仕事に組み込もうとする動きがあります。
サイボウズは、「チームワークあふれる社会を創る」という理念を軸に人事制度を作り替え、一時は28%に達していた離職率を4%まで下げました。
味の素は、会社の存在意義(パーパス)を、社員一人ひとりが自分の仕事の言葉に置き換えていく仕組みとして、ASVマネジメントサイクルを回しています。
SCSKは、健康経営の理念を就業規則にまで書き込みました。
三社に共通するのは、理念を「壁に飾られた額縁」のままにせず、日々の仕事の中で共に見る目的として置こうとしている点です。
ただし、ここには二つの注意点があります。一つは、繰り返しになりますが、診断のついた病気の場面では、医療と仕事上の配慮が何よりも優先されるということです。
目的を挟んだ関係は、医療の代わりになるものではありません。ここで扱っているのは、診断がつく前の段階と、治療と並んで進む日常の職場での関係のつくり方です。
もう一つは、目的をただ掲げるだけの「パーパス・ウォッシング」は、かえって社員をしらけさせてしまうということです。
1on1の会話や日々の仕事の中に、二人が実際に見るものとして置く。そこまでして初めて、「目的のある関係」は形になっていきます。
まとめ
「気づく → 聴く → 医療につなぐ」という対応は、メンタル不調の早期発見に欠かせません。しかし、それだけでは上司が「支える側」、部下が「支えられる側」という関係から抜け出せないことがあります。
大切なのは、上司と部下のあいだに、二人で目指す「共通の目的」を置くことです。1on1で仕事の意味を語り、挑戦する機会をつくり、相手が変わる可能性を信じて関わり続ける。そうすれば、向かい合う関係は、肩を並べて働く関係へと変わっていきます。
ただし、そのためには、そもそも職場に「共に目指せる目的」が必要です。空白を噂やレッテルで埋めないためにも、社員が自分の仕事の意味を実感できる目的をつくり、日々確かめ続けること。それこそが、経営者に問われている責任ではないでしょうか。








