不祥事が起きたとき、残された社員のことを思い出してほしい
目次
【この記事のポイント】
・企業の危機は、これまで以上に訪れやすくなっている
・ミスを起こすのは人だが、それを拾いフォローするのも人
・経営の役割とは「正しく前に進もうとする社員を守り、チャレンジを促し、価値を生み出し続けること」
ある日、突然会社も自分も「悪者」になった
これを読んでいるあなたは、会社の危機的状況、もしくは倒産などを経験したことはありますか?
私は、あります。
もうずいぶん昔の話になりますが、内定をいただいていた会社が、入社直前の3月31日に倒産。引き受け会社が現れて、4月1日から働く場所はあったけれど、社会人直前にセンセーショナルな一撃をくらいました。
当時は、まだ社会人経験もなく、「働く」ということがどんなことか、ちゃんとわかっていませんでした。
私はいわゆるロスジェネ世代で、大学時代にはたくさんの企業が倒れていくのをニュースで見ていましたから、「倒産」ということが大変なことで、いろんな人に影響を及ぼすことはもちろん知っていました(一応、経済学部)。
でも、実際のところ、誰に、どんな影響を与えたか、そこで何が起きているかは、全く理解しておらず、ただ自分の目の前に現れた現実に流されるままだったことを覚えています。
最近、過去に会社が不祥事を起こした人と話をする機会がありました。
自分が起こした不祥事じゃないのに、表を歩きにくかった。
電車の中で指を指されている気持ちになった。
ご近所を歩いても、周囲に見られているような気持になった。
もうとにかく笑うしかない。
そんな気持ちになったそうです。
共に働く仲間がいて、たくさんの同期がいて、楽しいことも、つらいことも、苦しいことも、わかちあってやってきた。
上司や先輩は怖いけれど、それをネタに笑いながら、同期同僚と飲むお酒はおいしかった。
みんな会社のことはいろいろ言うけれど、事業や商品・サービスに誇りを持って、会社が好き。
そんな人が私の周りにはたくさんいます。
別の日には、ある人のこんな言葉を聞きました。
「僕は会社が大好きです。ここにいるみんなも、きっとそうでしょう。だから、一緒に会社の未来を創っていきましょうよ」
暑苦しく聞こえるかもしれないけれど、表には1ミリも出さなくても、心の底でそんな想いを持っている人はたくさんいるのではないでしょうか。そんな感情を、一気にグラグラと揺らし、崩壊させてしまうのが会社の不祥事だと思います。
ましてや、現場から遠い場所での不祥事は、社員にとって、どうにもこうにも処理ができない感情を生みます。
テレビの取材に囲まれ、コメントを求められた朝でも、お店は開けなければいけない。
スマホに自社の悪いニュースが流れてきても、お客様対応はしなければならない。
新聞の一面に大きく書かれた日は、取引先から詰め寄られ、軽蔑され、同情される。
自分がやったわけではないのに。
せっかくこれまで積み上げてきた10年、20年、人によっては40年をも超える会社員生活が一瞬で崩れていく。自分のこれまではなんだったんだろうか。
そんな状況に陥ってしまった社員をもう一度鼓舞し、会社を元の状態に戻すのが、たやすいことであるはずがありません。残されるのは、ゼロどころか大きなマイナスからの遠く厳しい道のりばかりです。
走り続け、ボールを拾い続けるのは誰か
松下幸之助氏は、「事業は人なり」と言いました。
事業環境が大きく変わる中、ビジネスはますます複雑となり、既存の枠組みではカバーしきれなくなっています。今まで以上に組織内の横断・連携が求められる一方で、実際のコミュニケーションの流れはどんどん縦割りになっています。
企業を見る目は厳しさを増し、次々と新しいハラスメントが話題になり、どこまで何がオッケーなのかもわかりにくい状況です。企業の危機はこれまで以上に訪れやすくなっています。
それでも、その隙間を埋め、つないで価値を生み出していくのは、ほかならぬ『人』――社員なのです。万が一、不祥事を起こしてしまったとき、その内容や対応によっては、先の見通せる優秀な社員たちは会社に落胆し、去っていってしまうかもしれません。優秀で力強い仲間を失った会社が、もう一度立ち上がる道のりには、どれだけの困難があるか、想像に難くありません。
隙間だらけの組織の中で、三遊間を埋め、次から次へ投げられるボールを打ち返し、つらい中でも前進する。
ふとした時に、ボールがこぼれる。こぼれたままだとミスが起きるから、それをまた誰かが拾う。
そうして、組織は前進します。
ミスを起こすのは人ですが、それを拾いフォローするのも人なのです。
隙間に落ちそうなボールを取りに行くのは、並大抵のことではありません。自分の場所を守った上で、自分も打席に立って打ちながら、三遊間に走るのです。
それだけの大変なことをやってくれる社員たちを守って、ともに未来を描き、さらなるチャレンジをしていくのが経営の役割だと、私は思います。普段から社員を想い、向き合っているのであれば、危機的状況においても、社員は全身全霊でともに戦ってくれるでしょう。
逆にそんな社員が気持ちよく前進できなくなってしまったとき、会社の成長は止まり、やがては価値を失います。
正しく前に進もうとする社員を守り、チャレンジを促し、価値を生み出し続けることでしか、会社は生き残れません。今こそ、自分たちの会社が本当に生き残り続けられる組織なのかどうかを、社員も経営者もよく見つめ直すべきときだと思います。
不祥事が相次ぐ昨今、蓋をあけるのが怖い、火種があっても消し方がわからない、という気持ちもわかります。
「次は自分の会社だ」「自分の会社にもいつ起きるかわからなくて怖い」
そう感じている方はたくさんいることでしょう。
「そんなことを調べて、会社の中がズタズタだったらどうするんだ!怖くて調べられない」とおっしゃった方がいました。
怖くて蓋をしたままでは、いざというときには戦えないままです。
不祥事が起きてしまったとき、これまでの経営の真価が問われます。
近視的思考から脱し、会社の健全性を明らかにする勇気を持ってもらいたいと切に願います。
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株式会社ソフィア
事業責任者、シニア・コンサルタント
森口 静香
先が見えない、課題が曖昧でどうすればよいかわからないプロジェクトの伴走をすることが多いです。議論をその場で図解したり、時にはグラレコや動画を使って、みなさんの共通認識をつくることを得意としています。
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