人材育成

『飛び地』を可能にする「異化」「桂馬飛び」アイデアが止まらない会社の思考法

「なぜ、あれほど優秀な人材が揃っているのに、イノベーションが生まれないのだろう」——多くの会社でも、こうした疑問を感じたことはありませんか?
本記事では、「異化(Ostranenie)」 と 「桂馬飛び(Knight’s Move)」 という、20世紀初頭の文学理論から生まれた概念を経営戦略に応用し、日本企業が直面するイノベーションの停滞を打破するための具体的な方法論をご紹介します。
結論から言えば、多くの企業が陥っている「イノベーションのジレンマ」の本質は、技術力や資金力の問題ではなく、組織の「知覚」が硬直化しているという認知の問題なのです。
本記事を読み終えると、以下のことが理解できるでしょう。

• なぜ効率化を追求するほど、組織はイノベーションから遠ざかるのか
• 任天堂、富士フィルムはどのように「桂馬飛び」で成功したのか
• 明日から実践できる「組織の知覚をリセットする」具体的な手法

それでは、まず「2025年の崖」の深層にある問題から見ていきましょう。

「自動化」を打破する「異化」と「桂馬飛び」とは

「自動化」という効率性のパラドックスと知覚の喪失

現代の日本企業、とりわけかつて世界を席巻した製造業や確立されたサービス業の大企業が直面している閉塞感は、単なるデジタルトランスフォーメーション(DX)の遅滞や、高度な工程分業によるサイロ化といった表層の問題には留まりません。
経済産業省の『DXレポート』が警告する「2025年の崖」は、工程分業された部門最適を維持する為のレガシーシステムの管理費は高騰し、年間最大12兆円の経済損失を示唆する衝撃的なシナリオです。しかし、その深層にあるのは、組織認知の硬直化という、より根本的かつ病理的な問題ではないでしょうか。
高度に最適化され、分業化が進んだ組織において、経営者や現場の社員はもはや市場や顧客を、その生々しい実存として「見て」いないのかもしれません。私たちは、過去の成功体験、業界内で共有された常識、そして確立されたKPI(重要業績評価指標)という「記号的フィルター」を通して、市場や自社をパターン認識的に処理しているのではないでしょうか?
「年を重ねると、年々、一年が短いなぁ」という感覚をお持ちではないでしょうか?
これは100年前にロシアの文芸評論家ヴィクトル・シクロフスキーが指摘した「自動化(Automatization)」という知覚の病弊そのものです。日々の業務プロセス、定例化された会議、競合他社のベンチマーク分析といったビジネス活動が「馴染み深いルーチン」となり、私たちの感覚を麻痺させています。この「自動化」は、組織から驚き(Wonder)を奪い、イノベーションの芽となる「違和感」を排除し、最終的には企業の死、すなわち市場からの退場を招くのです。
経営学の巨人、ハーバート・サイモンが提唱した「限定合理性(Bounded Rationality)」において、人間や組織は認知リソースの限界に対処するために、思考を省略し、意思決定をルーチン化(自動化)することで効率を高めようとします。サイモンは、人間が完全な合理性を持って全ての選択肢を計算することは不可能であるとし、ある程度の満足水準(Satisficing)で意思決定を行う適応行動をとると強く警鐘を鳴らしていました。
つまり、この効率化への適応こそが、環境変化に対する感度を鈍らせ、ジェームズ・マーチが警告した「コンピテンシー・トラップ(能力の罠)」でありサクセスシンドロームとしてと組織を誘引するのです。換言すれば、効率化されたルーチンは、平時においては強力な武器となりますが、非線形な変化が起きる現在の不確実性の世界においては、組織の目や機会を塞ぐ拘束衣となってしまうのです。

ロシア・フォルマリズムの「異化」と「桂馬飛び」とは

20世紀初頭の先鋭的な文学理論であるロシア・フォルマリズムの中核概念、「異化(Ostranenie)」と「桂馬飛び(Knight’s Move)」です。これらは単なる文学的修辞や比喩ではありません。「異化」は、顧客体験や製品価値を再定義するための「認知のリセット装置」であり、「桂馬飛び」は、過当競争(レッドオーシャン)から脱出し、既存資産を全く異なる文脈で収益化するための「ピボット(事業転換)のアルゴリズム」なのです。

ロシア・フォルマリズムの「異化」とは

なぜ組織が「自動化」に陥るのか、その理論的背景を探っていきましょう。文学理論と経営学という、一見かけ離れた分野に、驚くほどの共通点があります。

異化(Ostranenie)のメカニズムと脳の省エネ機能

知覚の「代数化」とビジネスの死

1917年、ヴィクトル・シクロフスキーは論文『手法としての芸術』において、人間の知覚の性質について鋭い洞察を提示しました。彼は、私たちが日常生活を送る際、物事をありのままに感じているのではなく、無意識のうちに記号化して処理していると述べました。これを彼は「知覚の代数化」と呼んでいます。

具体的には、数学の代数(a + b = c)において、文字 a が具体的な物体(リンゴなのかミカンなのか)を捨象して計算されるように、私たちの脳は日常の対象を「記号」として処理することで、認知的負荷を最小限に抑えているのです。
例えば、「ペン」を持つとき、その冷たさや重さ、インクの匂いをいちいち感じていては行動が遅れてしまいます。そのため、脳は「これはペンだ」という記号として処理し、感覚情報を省略するのです。

シクロフスキーは日記の有名な一節を引用し、こう嘆いています。「掃除をしていて、ソファの埃を払ったかどうか思い出せない。もし払ったのが事実だとしても、無意識に行ったのなら、それは『存在しなかった』のと同じことだ」——この状態こそが「自動化(Automatization)」です。

では、ビジネスの現場ではどうでしょうか。この「代数化」は致命的な弊害をもたらす可能性があります。
「顧客」を生身の人間ではなく「ターゲット層」「所得B層」「LTV(生涯顧客価値)」といった記号や数値として処理した瞬間、企業は顧客の痛みや喜びを感じ取る能力を失ってしまいます。業務プロセスは劇的に効率化されますが、事業の「リアリティ(現実感)」は失われ、市場の微細な変化やパラダイムシフトの予兆に対する感度は著しく低下するのです。
あなたの職場でも、経営層が現場の感覚を見失い、数字上の辻褄合わせに終始する「大企業病」を感じたことはありませんか?その一因は、この過度な代数化ではないでしょうか?

異化の定義と3つのステップ

「異化(Ostranenie)」とは、この自動化された知覚を強制的に解除し、対象を生々しい現実として回復させる作用のことです。シクロフスキーは「芸術の目的は、事物を『認知(Recognition)』させることではなく、『視覚(Vision)』として体験させることにある」と定義しました。
一言でいえば、見慣れたものを「未知のもの」として提示することで、受け手は「あれ、これはなんだ?」と躓(つまず)き、立ち止まらざるを得なくなります。この認知的負荷こそが、対象への再注目を促すのです。
ビジネスにおける異化の実践プロセスは、以下の3段階で構造化できます。

Step 1: 脱・命名(De-naming / Removing the Veil)

最初のステップは、対象から「名前」を剥奪することです。名前(ラベル)は自動化の最強のツールと言えるでしょう。「会議」「営業」「製品開発」といった名前がついた瞬間、脳はその活動の内容を過去の記憶と照合し、「いつものあれか」と処理を終了してしまいます。

名前を剥ぎ取り、そこで起きている現象を純粋に記述し直すことで、隠されていた本質や矛盾が露わになります。
例えば、シクロフスキーはトルストイが『戦争と平和』でオペラを「着飾った男女が、穴の空いた板切れの上を奇妙に動き回り、口を大きく開けて何かを叫んでいる」と記述した例を挙げています。これにより、オペラという高尚な文化の皮が剥がれ、その行為の奇妙さが浮き彫りになるのです。

言い換えれば、「異化」という行為は、それまで持っていた思い込みを、捨て去り、初めて見るような目で、対象を見ることです。よく知られている童話に、「裸の王様」があります。経験は積んだ大人たちは、王様の服が素晴らしいと、認知してもない服をほめていたのに対し、経験のない子供は、ありのままの目で、「王様は裸だ」と叫ぶのです。

ビジネスの世界で、着てもいない服をほめたたえる行為と、実際に裸だと指摘する行為とどちらが結果を出せるでしょうか?言うまでもありません。異化とは、このように、ありのままに、対象を見てより合理的な判断が下せるという点で、さっそく明日からのビジネスに役立てることができます。

Step 2: 知覚の遅延と困難化(Retardation & Difficulty)

現代のUXデザインや業務設計では「わかりやすさ」「スムーズさ(Frictionless)」が至上の善とされています。しかし、異化においては「わかりにくさ」や「違和感」が戦略的に重要となります。なぜなら、スムーズに理解できる情報は脳を素通りしてしまうからです。

あえて奇妙なデザイン、予想外の機能、不親切な手順を導入することで、顧客や社員の脳に「認知的負荷」をかけ、対象への没入を強制するのです。

具体的には、ダイソンの掃除機が、ゴミが回る様子を透明なビンで見せつけているのは、「ゴミが取れた」という結果だけでなく、「掃除」というプロセスそのものの凄みを可視化し、ユーザーの視線を釘付けにするための「視覚的異化」だと言えるでしょう。

ゴミを、見せても掃除機の吸引力になんの関係もありません。しかし顧客は、取れたゴミを、視覚的に認知することによって、自分がついさっき行った掃除には、意味があったのであり、また次も掃除しようと動機をも獲得します。普段、目にしないモノ、見るはずのないモノ、敢えて見せることで、顧客の日常生活を、視覚的に異化しようという試みが、ダイソンの掃除機なのです。

Step 3: 再魔術化(Re-enchantment)

名前を剥奪され、知覚が遅延された結果、対象は「再発見」されます。シクロフスキーが「石を石らしくすること(make the stone stony)」と表現したように、コモディティ化して記号に成り下がっていた商品やサービスが、再び固有の質感と意味を持った新しい存在として復活するのです。

近代化によって失われたとした「魔術」を、ビジネスの文脈で回復させるプロセスというと言えば面白いかもしれません。
近代では、魔術は遠ざけるもの、消滅すべきものとして、忌避されてきました。ところが、魔術を無くし、隅々まで光で照らす啓蒙を進めた結果。すべてが理解可能となり、この世への興味も刺激も、人は失っていきました。

であるなら、再び、その魔術を日常生活に復活させることには、大きな意味があるでしょう。それはビジネスにおいても同じです。

経営学の巨人も「自動化」に警鐘を鳴らしていた。

ここまで、ロシア・フォルマリズムの「異化」概念についてご説明してきました。では、この概念は経営学ではどのように解釈されているのでしょうか。

限定合理性とルーチンの二面性は「自動化」

ロシア・フォルマリズムの「自動化」概念は、経営学における「限定合理性」と驚くべき符合を見せます。
ノーベル経済学賞受賞者ハーバート・サイモンは、人間が完全な合理性を持ってすべての選択肢を計算し、最適解を導き出すことは認知的に不可能であるとし、「限定合理性(Bounded Rationality)」を提唱しました。

組織はこの個人の認知限界を補うために、「ルーチン」や「標準作業手順」を発達させます。これはシクロフスキーの言う「自動化」の発露だと言えるでしょう。
サイモンにとって、ルーチンは組織の記憶装置であり、複雑な環境下で効率的な意思決定を可能にする不可欠なツールです。しかし、同時にそれは「認知の硬直化」をもたらします。サイモン自身も、専門家の知識が「選択的知覚」を生み、問題を狭めてしまうリスクに警鐘を鳴らしていました。

先ほどの例で言えば、自動化されている故に、さっき自分が掃除したかどうかかも、思い出せなくなるのです。皆さんも、部屋の電気を消したかどうか 不安になって戻ってみたら消していた。という経験をしたことがあるでしょう。これが自動化です。もう私たちは実際には行動しているのに、したか?どうか?を覚えておらず、それに当事者意識も持てません。これが自動化がもたらす悲惨であり、ビジネスを硬直化していくのです。

サイモンの理論において、ルーチン化された行動は「手続き的合理性」を満たすものですが、それは必ずしも環境の変化に対する「実質的合理性」を保証しません。
わかりやすくいえば、手続き上は正しい(マニュアル通りの)行動が、変化した市場環境においては全くの誤りとなる可能性があるのです。これが「自動化された経営」の危うさではないでしょうか。

現在は、このマニュアルが、大規模なシステムで機械による「自動化」になり、この機械は、AIになりつつあります。既存ビジネスの成長率が下降しているのであれば、私たちは「異化」を市場から求められているという事かもしれません。

コンピテンシー・トラップと組織の学習

ジェームズ・マーチは、この問題を組織学習における「探索(Exploration)」と「深化(Exploitation)」のジレンマとして定式化しました。この経営理論と文学理論を対比したものが下記の図式です。

概念 経営学(マーチ) ロシア・フォルマリズム(シクロフスキー) 特徴
深化(Exploitation) 既存知の活用、効率化、改善、実行 自動化、代数化、認知(Recognition) 短期的には収益を生むが、長期的には陳腐化する
探索(Exploration) 未知の知の追求、実験、リスクテイク 異化、脱・命名、視覚(Vision)  短期的には非効率だが、長期的生存には不可欠

マーチは、組織が深化(効率化)に過度に適応すると、短期的には成功し、その行動が強化されるため、ますます探索(イノベーション)を行わなくなる現象を指摘しました。これを「コンピテンシー・トラップ(能力の罠)」と呼びます。
日本企業の多くが陥っている「イノベーションのジレンマ」は、まさにこの「深化の過剰」による自動化の罠だと考えられます。現場の改善活動(カイゼン)は深化の極致であり、それは短期的効率を高めますが、同時に組織の認知を「既存の枠組み」に強く固定してしまうのです。
シクロフスキーが「自動化は生を殺す」と述べたように、過度な改善は、企業を殺すと言っていいでしょう。

「枯れた技術」と「桂馬飛び」でイノベーションを起こす

組織が「自動化」に陥るメカニズムについて理論的に見てきました。では、具体的にどのようにしてこの罠から抜け出せばよいのでしょうか。ここからは、事例をベースに実践するための方法をご紹介していきます。

非線形戦略の本質:叔父から甥への継承の「桂馬飛び

チェスの盤上において、ポーンやルーク、ビショップは直線的に移動します。これに対し、ナイト(桂馬)だけが「L字型」に動き、前にある駒を飛び越えることができます。
シクロフスキーは、文学史の進化について「父から子へ」という直線的な継承ではなく、「叔父から甥へ」という斜めの継承、すなわち「桂馬飛び(Knight’s Move)」によって起こると論じました。
ビジネス戦略において、直線的な動き(直進)は「持続的イノベーション」や「直接的競合とのスペック競争」に相当します。製品の性能を10%向上させる、コストを5%削減するといった競争は、既存の文脈(ルール)の中での戦いです。市場が成熟し、レッドオーシャン化すると、真正面からの機能競争は消耗戦となり、資本力のある強者(プラットフォーマーなど)が勝利してしまいます。
ここで求められるのが、技術や資産の軸足を残しつつ(前進)、適用領域や文脈をずらす(横移動)「桂馬飛び」の戦略です。
これは生物学における「外適応(Exaptation)」の概念にも通じます。外適応とは、鳥の羽毛が当初は体温調節のために進化した後に、飛翔のために転用されたように、ある目的のために発達した形質が、全く別の機能として転用される現象を指します。
一言でいえば、ビジネスにおける桂馬飛びとは、企業が持つ資産(技術、販路、データ)を、当初の目的とは異なる文脈へと「外適応」させるプロセスなのです。
企業が一定の規模となり、長期間存続すれば、外適応のプロセスは避けて通れないものとなります。今までのスキルを使いながら、近いが似ていない市場に入ってい行くこと。このためには、桂馬飛びしかありません。

任天堂「枯れた技術の水平思考」

任天堂の伝説的開発者、横井軍平が提唱した「枯れた技術の水平思考」は、まさに「桂馬飛び」の日本的実践であり、グローバルな経営戦略史における金字塔と言えるでしょう。

枯れた技術
すでに広く普及し、技術的に成熟し、コストが下がり、動作が安定した技術

水平思考
本来の用途(直線の進化)とは異なるエンターテインメントの文脈へ転用すること

横井は、当時「電卓戦争」によってコストが暴落していた「液晶技術」という事務用品の文脈にあった技術に着目しました。最先端の電卓を作るのではなく、その技術を「ゲーム」という異質な文脈へ転用(桂馬飛び)することで、大ヒット商品『ゲーム&ウオッチ』を着想したのです。

さらに、1989年のゲームボーイ開発時、競合他社(アタリのLynx、セガのゲームギア)は、カラー液晶と高性能バックライトを搭載した「ハイテク」携帯機で直線的なスペック競争を挑んでいました。これは技術進化の直線上に位置する正当なアプローチです。

しかし横井は、社内の反対を押し切り、あえて当時の電卓などに使われていた安価で低性能な「モノクロ液晶(STN液晶)」を採用しました。

この決断は、以下の3つの戦略的優位性を生みました。

1. バッテリー寿命:
カラー機が数時間しか持たない中、数十時間の駆動を実現し、「携帯性」という本質的価値を守った
2. コスト構造:
子供がお小遣いで買える価格帯(12,500円)を実現した
3. 異化効果:
ここが最も重要です。

横井は「ゲームの面白さは色の数ではない」と断言しました。むしろ、情報量が制限されたモノクロ画面の方が、プレイヤーの想像力を刺激し、脳内補完を促すことで没入感を高める可能性があるのです。

視点を変えれば、これはシクロフスキーが「詩的言語は日常言語よりも困難であるべきだ(知覚の遅延)」と説いたのと同様に、情報の不完全さがむしろ受け手の能動的な関与(Sensemaking)を引き出す効果だと言えるでしょう。

任天堂は「高スペック」という直線の競争を、枯れた技術の転用という「桂馬飛び」で回避し、圧倒的な市場シェアを獲得しました。この哲学は、後のWii(他社が高精細グラフィック競争をする中、既存のモーションセンサー技術で「体感」へシフト)やNintendo Switch(家庭用と携帯用の境界を破壊)にも脈々と受け継がれています。

キングジム「ポメラ」と機能の引き算

文具メーカーのキングジムが開発したデジタルメモ「ポメラ」もまた、現代における「枯れた技術の水平思考」の好例です。

2008年の発売当時、モバイル機器市場はネットブックや初期のスマートフォンなど、「多機能・高性能・常時接続」へと向かう直線的進化の真っ只中にありました。しかし、キングジムは真逆の戦略をとったのです。

「枯れた技術」であるモノクロ液晶と乾電池駆動を採用し、通信機能や多機能性を一切排除。「テキスト入力」のみに特化した単機能デバイスを市場に投入しました。

脱・命名
「パソコン」でも「PDA」でもない、「デジタルメモ」という新たなカテゴリの創出

知覚の異化
「ネットにつながらない」という、現代の常識からすれば「欠陥」とも取れる仕様を、「メールやSNSに邪魔されず執筆に集中できる」という最大の価値(メリット)へと反転させた

ポメラの成功は、スペックを足し算するのではなく、引き算すること(機能の異化)によって、特定のユーザー(ライター、記者など)にとっての価値を先鋭化させる「ニッチトップ」戦略の有効性を証明していると言えるでしょう。

最新技術を使わないため開発コストは抑えられ、大手メーカーが参入しづらい(市場規模が小さく見えるため)という防御壁も構築できたのです。

富士フイルム:「写真屋」からの自己異化

写真フィルム市場の崩壊に直面した富士フイルムの「第二の創業」は、自社のコア技術に対する徹底的な「異化」によって成し遂げられました。
2000年代初頭、デジタルカメラの普及により、写真フィルム市場は年間20-30%という壊滅的なスピードで縮小し始めました。当時の古森重隆CEOは、この危機に対して「写真フィルム」という製品を構成要素レベルまで分解し、再定義(異化)することを技術陣に求めました。

• 問い:写真フィルムとは何か?
• 既存の答え:画像を記録する媒体(感光材料)
• 異化された答え:それは「厚さ200ミクロンの透明な支持体の上に、20ミクロンの厚さで約20層の感光層をナノレベルで均一に塗布した、コラーゲンの塊」である

この再定義により、驚くべき事実が浮かび上がりました。
1. コラーゲン:写真フィルムの主成分はゼラチン(コラーゲン)であり、人間の皮膚の主成分と同じである
2. 抗酸化技術:写真が空気中で色あせるのを防ぐ技術は、人間の肌が活性酸素によって老化するのを防ぐ技術と同義である
3. ナノテクノロジー:フィルムの微細な粒子を制御する技術は、美容成分を肌の奥深くまで浸透させる技術に応用できる

このように「写真フィルム」を「高度なコラーゲン制御および抗酸化ナノテクの塊」として異化することで、全く異なる市場である「化粧品(スキンケア)」への参入ロジックが構築されたのです。
「写真屋」という自動化された自己認識(アイデンティティ)を捨て、技術の適用先を「思い出を守る媒体(フィルム)」から「若さを守る媒体(肌)」へと桂馬飛びさせたことが、同社のV字回復の決定打となりました。
対照的に、コダックは自らを「画像の会社(Image Company)」と定義し続けました。デジタル化の波に対しても、「画像の共有」「画像の印刷」という既存文脈の延長線上でのみ対応しようとし、自社の持つ化学技術を異化して素材メーカーや製薬会社として再定義することができなかったのです。
これは、自己定義の自動化が企業の命運を分けた決定的な事例と言えるでしょう。

組織の自動化を解き、「異化」する為の手法

「異化」と「桂馬飛び」の理論と成功事例を見てきました。しかし、「理屈は分かったが、自社でどう実践すればいいのか」という疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
日本企業特有の組織的課題と、それを克服するための具体的な手法をご紹介します。

コンセンサスと管理職やりたくない症候群

日本企業において、「異化」や「桂馬飛び」のような非線形なアイデアが実行に移されない最大の要因は、過度なコンセンサス重視の文化と、承認プロセスにおけるボトルネックです。

稟議制度という責任分散システム

稟議は責任を分散しリスクを最小化するための優れたシステムですが、同時にそれは「誰もが理解できる(=馴染み深い)アイデア」しか通過させないフィルタリング装置として機能してしまいます。
異化されたアイデアは、定義上「奇妙」で「違和感」を伴うため、このプロセスの中で「前例がない」「論理が飛躍している」「市場規模が読めない」として排除されてしまうのです。
わかりやすく言えば、稟議や承認プロセスは、統制と正確性を保証する代わりに、違和感やアイデアを、削り取るシステムと言えるでしょう。

管理職やりたくない症候群

現場(ボトムアップ)からの斬新な提案は、中間管理職(ミドル)の層で止まることが多いと言われています。
ミドルマネジメントは、既存事業の効率化(深化)において最適化されており、彼らの評価体系も自動化した制度に頼っていることが多いため、不確実性の高い「桂馬飛び」をリスクとして認識し、調整を図り、この層がイノベーションを遮断する「妨害装置」となっているのです。
しかし、新規事業や新商品開発の必要性に迫られる日本企業においては、現場と意思決定は、既に歪みが生じています。現場の「違和感」や「アイデア」は、「妨害」することが困難になり、意思決定と現場のコンフリクトを調整する管理者は既になり手がいない状況です。
あなたの会社では、こうした現象に心当たりはありませんか?

ボトムアップの限界と「言ったもん負け」文化

「現場力」は日本企業の強みとされますが、ラディカルなイノベーションにおいてはボトムアップの限界も明確に存在します。

視野の狭窄化

現場からの提案は、どうしても目の前の業務改善(インクリメンタルな改善)に終始しがちです。顧客の近くにいるがゆえに、「顧客の言うこと(顕在ニーズ)」に縛られ、市場構造自体を変えるような「顧客も気づいていない価値」への飛躍(ラディカル・イノベーション)が起きにくいのです。

言ったもん負け

日本企業には「言い出しっぺ」が損をする文化があると指摘されています。新しい提案をした人間が、リソースや権限を与えられないまま実行責任だけを負わされ、通常業務にプラスして新規事業の負担を背負わされる。失敗すれば評価を下げられ、成功してもリターンが少ない。
この「言ったもん負け」の構造が、社員の口を閉ざさせ、組織を沈黙させているのではないでしょうか。

組織の「アンラーニング」と忘却の技術

こうした組織的課題をどのように克服すればよいのでしょうか。ここでは、「組織的忘却」と「アート思考」という二つのアプローチをご紹介します。

リンダ・アーゴートの「組織的忘却」

新しい文脈へと桂馬飛びするためには、古い文脈(成功体験)を捨て去る必要があります。組織学習の研究者リンダ・アーゴートらは、「組織的忘却(Organizational Forgetting)」や「アンラーニング(Unlearning)」の重要性を説いています。
アンラーニングとは、単に知識を失うことではありません。意識的に古いルーチンや精神モデルを廃棄し、新しい知識が入るスペースを作ることです。
多くの企業変革が失敗するのは、新しいことを学ぼうとする一方で、古いやり方を捨てきれないからだと言えるでしょう。富士フイルムが「写真屋」としてのプライドや慣習を(技術資産は残しつつ)アンラーニングしたように、組織は定期的に自らを「脱構築」しなければなりません。これは「意図的な忘却」であり、高度な戦略的行動なのです。

アート思考とセンスメイキング

論理的な分析(サイエンス)だけでは、「正解」のない不確実な未来を描くことはできません。そこで注目されるのが「アート思考(Art Thinking)」です。
デザイン思考が「ユーザーの課題解決」という解を求めるプロセスであるのに対し、アート思考は「新たな問いを立てる」プロセスであり、これはロシア・フォルマリズムの「異化」の実践そのものだと言えます。
また、カール・ワイクの「センスメイキング(Sensemaking)」理論も重要です。不確実な状況下において、客観的なデータ分析だけでは正解は導き出せません。リーダーに必要なのは、バラバラな情報(手がかり)を繋ぎ合わせ、組織全体が納得して動けるような「意味の物語」を構築する能力です。
別の角度から言えば、古森CEOが行った「フィルム技術=スキンケア技術」という再定義は、データに基づく分析というよりは、社員と市場を納得させるための卓越したセンスメイキングの物語だったのです。

実践ワークショップとツール

ここからは、組織の自動化を打破し、強制的に異化を引き起こすための具体的な手法をご紹介します。これらのワークショップは、コンセンサスの圧力を回避し、非線形な発想を保護するために設計されています。

De-naming(脱・命名)ワークショップ

対象から「名前」を剥ぎ取り、現象学的記述を行うことで、本質を再発見する手法です。

 手順

  1. 対象選定:自社の主力製品、サービス、あるいは会議体などを選ぶ(例:「生命保険」)
  2. 名称禁止:その名前の使用を禁止する。業界用語も禁止する
  3. >現象学的記述:そこで起きている物理的、心理的現象を、専門知識を持たない子供や宇宙人に説明するかのように記述する
    (例:将来起こるかもしれない悲劇に対して、毎月少額の金銭を賭けることで、安心という感覚を得る契約)
  4. 再定義:記述された内容から、全く新しい価値提案を見出し、新しい名前を付ける
    (例:安心のサブスクリプション・リスクのコミュニティシェア・悲劇の際の金銭的バッファ)
  5. 桂馬飛びの探索:再定義された言葉から連想される別の業界や文脈を探す(例:コミュニティシェアならSNSやシェアリングエコノミーの文脈へ)

このプロセスにより、「保険」という言葉に付着していた手垢(固定観念)が削ぎ落とされ、本質的な価値が異化されて浮かび上がり、デジタルサービス等への転用可能性が見えてくるでしょう。

アート思考ワークショップ「Improbable」

ESCPビジネススクールなどで実践されている「Improbable(ありえないもの)」ワークショップは、参加者に「アート作品」の制作を課すことで、既成概念を破壊します。

  • Donate(寄付):自分の持っているリソースやアイデアを他者に無償で与える
  • Destroy(破壊):作ったものを破壊するプロセスを通じて、執着(サンクコスト)からの解放とアンラーニングを身体的に経験させる
  • Drift(漂流):目的を持たずに探索し、偶然の出会い(セレンディピティ)を受け入れる

ビジネスパーソンは「生産性」や「ゴール」に縛られているため、あえて「無駄」や「破壊」を経験させることで、脳のモードを「深化」から「探索」へと強制的に切り替えます。これにより、論理的には出てこない「違和感のあるアイデア」を許容する土壌を作るのです。

「異化」することで市場は広がる

Z世代のアナログ回帰と「異化」の市場

近年、富士フイルムのインスタントカメラ「instax(チェキ)」が、Z世代を中心に爆発的なブームとなっている現象は、本記事の理論を裏付ける強力な事例です。
デジタルネイティブである彼らにとって、高画質で、無限に撮影でき、修正可能なスマートフォンの写真は「日常(自動化されたもの)」です。それに対して、失敗が許されず、現像されるまで結果が分からず、物理的な物体として残るチェキは、極めて「新鮮で奇妙な(異化された)」体験として知覚されているのです。
これは、技術の進化(高画質化・デジタル化)が極限まで進んだ結果、逆に「不便さ」や「身体性」が価値として再魔術化された現象だと言えるでしょう。シクロフスキーが「知覚の遅延」を芸術的価値としたように、現像を待つ時間や、一枚しかない写真の一回性が体験の強度を高めているのです。
この現象は、日本企業が持つ「古い技術」や「アナログな資産」が、文脈を変える(ターゲットをZ世代に変える)だけで、最先端のデジタル体験をも、凌駕する価値を持ちうることを示唆しています。
一言でいえば、「枯れた技術」は、一周回って「最新の体験」になり得るのです。

まとめ

シクロフスキーの理論は、最終的に一つのテーゼに帰着します。「自動化は生を殺し、異化は生を回復させる」。
効率化と最適化は、企業の収益性を高めるためには不可欠です。しかし、それが行き過ぎると、組織は自らの製品、顧客、そして市場に対する感覚を失い、コンピテンシー・トラップの中で緩やかな死を迎えてしまいます。
本記事で取り上げたダイソン、任天堂、、富士フイルムといった企業は、いずれも「自動化された常識」に対し、「異化」というナイフを突き立て、世界を鮮烈に再認識させることでイノベーションを成し遂げました。彼らは「最新技術」という直線の競争を避け、「枯れた技術」や「既存資産」を新しい文脈へと「桂馬飛び」させることで、独自の価値を創出したのです。
日本企業が再び世界で輝くために必要なのは、シリコンバレーの模倣(直線の競争)ではありません。自らが持つ豊富な「枯れた技術」や「現場の暗黙知」を、異化の手法によって再発見し、誰も予想しなかった文脈へと軽やかに跳躍させることではないでしょうか。
経営者に求められるのは、組織の「自動運転モード」を解除し、「異化モード」にギアを切り替え、「違和感」を愛し、「無駄」を許容し、「名前」を疑うこと。その先にこそ、計算された合理性(AI)では到達できない、人間だけが到達できるイノベーションがあるのではないでしょうか

  • 「異化」や「桂馬飛び」は大企業向けの理論では?中小企業や個人でも実践できますか?
  • むしろ中小企業や個人の方が実践しやすいと言えます。大企業が陥りやすい「稟議制度」や「コンセンサス重視の文化」がボトルネックになりにくいからです。記事で紹介した「De-naming(脱・命名)ワークショップ」は、自社の主力製品やサービスの名前を禁止し、子どもに説明するように言葉で再記述するだけで始められます。必要なのは予算ではなく、「見慣れたものを未知のものとして見る」という視点の転換です。

  • 「深化(効率化・改善)」をやめろということですか?現場のカイゼンは無駄なのでしょうか?
  • 深化そのものを否定しているわけではありません。問題は「深化に偏りすぎること」です。記事が示すジェームズ・マーチの理論では、深化(既存の改善)と探索(新しい挑戦)のバランスが重要とされています。カイゼンは短期的な収益と競争力を支える強みですが、それだけに最適化されると組織の認知が固定化し、「コンピテンシー・トラップ(能力の罠)」に陥るリスクがあります。深化を続けながらも、意図的に「探索」の時間や場を設けることが鍵です。

  • 「桂馬飛び」でうまくいった事例(任天堂・富士フイルム)は特殊では?自社の技術に転用できる別の文脈を、どうやって見つければよいですか?
  • 確かに大きな成功事例は目立ちますが、記事で紹介されているポメラ(キングジム)のように、規模を問わず実践できます。文脈を見つける入り口として有効なのが、「De-naming」のプロセスです。自社技術を製品名や業界カテゴリから切り離し、「何をしている技術か」を物理・化学・心理の言葉で再記述すると、思わぬ接点が生まれます。富士フイルムが「写真フィルム=コラーゲンの塊」と再定義して化粧品市場を発見したように、技術の本質を言い換えることが「桂馬飛び先」を探す最初のステップになります。

株式会社ソフィア

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人と組織にかかわる「問題」「要因」「課題」「解決策」「バズワード」「経営テーマ」など多岐にわたる「事象」をインターナルコミュニケーションの視点から解釈し伝えてます。